『へいわ屋漫筆』第20回 送ること 祈ること
年が明けましたね。PM読者の皆さんは初詣には行かれましたか?
親しい人と行く方も、神社へは行かないっていう人も居られるでしょうね。
へいわ屋店主は強いて言うなら「晴れた冬の日の散歩」という心もちで出かけます。だから三が日に限らず、1月はじめて神社に足を伸ばした日が初詣ですね。
店主の身近には、広大な森を境内とした、太古から神社だった神社が多いので余計そう感じるのかもしれませんが、圧倒的な自然の中つくねんと佇んでいると、いつもと違う不思議な気持ちになります。心が鳥になって木の上から自分を見下ろしているような。自分が見える気がするのです。
がっちりした「神道への信心」ではおそらく無いのでしょうが、近くの「お宮さん」という場への愛着があります。数百年前に同じ場所で神事を行っていた人たちはどんな顔をしていたのだろう、寒かったかしら、などと思ったり。
神社へ行っても木々の息吹を感じつつ、そんなことを考えている店主ですが、昨年末は珍しく幾つかの神社の「お守り」を買い集める事態が発生しました。何のお守りだと思いますか?縁結び?商売繁盛?いえ。
交通安全お守りなんです。自分のためではなく。
店主にはとても和やかに接してくださった仕事上の先輩が居ます。めまいがするほど緊張していた新人時代。この「和やかに」仕事を教え、みまもってくださるということがどれほどありがたかったか。分け隔てない人柄で、公私共に仲良くして頂きました。
愛や恋には…、なっていませんが、敬慕してやまない先輩です。
この方は長い努力が実って、新春から念願のパイロットとして転職されました。この方が「夢をかなえられますように」という私の応援はめでたく終わり、次は何をおいても安全に、そして心豊かに職務を全うされることが強く願われます。すばらしくも困難なお仕事ですから。
具体的に自分に出来ることは何も無い、だからなおさら思いは強い。そんな時、人は祈るのではないかと思います。
幾つかのお守りをその方に渡したのは、高層階の喫茶室。晴れた空に目をやっていた先輩は顔をほころばせて受け取ってくれました。平和に関する店主の考えや、憲法9条に関する話も、少しは出来ました。
愛息や兄弟や恋人を戦地へ送らざるを得なかった、幾万の「残されし人」たちの祈りのもどかしさをも連想できた、この冬の出来事です。
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