2008.12.20

『へいわ屋漫筆』第19回 お屋敷とカフェーと戦争と平和

 また寒い季節が巡ってきましたが、
PM読者の皆さんはお変わりありませんか?

突然ですが、入れてないものはなかなか出てきませんね…。何の事かって?この原稿の事です。前回の脱稿以来、がむしゃらな労働にかまけて、じっくり平和について考察が出来ない毎日の連続でした。知識を得たり考えたりせずには、表現って出来るものではなく、締め切りぎりぎり脱稿の名手のへいわ屋店主も、今回だけは「編集長、書けません!」と連絡していたのですが…。
やはり連載に穴をあけるのも釈然とせず、深夜筆を進めています。
「労働」しかしていなかったのなら、その中で思ったことを書く以外に無いのです。以下は、労働の合間に考えたことの断片です。

 がむしゃらとか労働とか書くと非常に辛いことのような字面ですが、実はこのご時勢に稀有なことに、とても充足感のある、楽しい労働の日々を送っているのでした。

 へいわ屋店主が生計を立てるためホテル・レストランサービス業の派遣労働に就いていることは折に触れて書いて来ましたが、このほど派遣されていったのは、築100年の洋館を保存活用した美しいホテルの喫茶・レストランです。同世代の仕事仲間の温かい扱いに迎えられ、自分の得意なことも少しは活かせ、派遣生活史上初めてというほど充実して働いています。

「薪の燃える暖炉」「大きなレトリバー犬」「彫刻のあるバルコニー」等等、子供の頃空想したお屋敷アイテム完全搭載のシチュエーションに、へいわ屋が嬉しがらないはずも無く…。100年前からそこにいるかのように働いています。
「絢爛豪華な消費文化に自分の労働力を供しているだけでいいのか」「もっと具体的な平和活動に時間を使わないといけないのではないか」というジレンマは抱えつつ。

 このジレンマはまだ解消されたわけではないのですが、ある日「お屋敷」を利用された、高名な現代美術の作家がポツリと言われた「京都に原爆が落ちなくて良かったね。」という一言が、小さな風穴を開けてくれたかもしれません。この言葉を聞いてまず思ったのは「原爆はどこにも落ちなければ良かったの!!」ということだったのですが、さらに考えてみれば、戦災や理不尽な権力によって失うことは耐えられないほど大切な「何か」を持ち、執着し続けるのも大切ではないかと思い至りました。

 各々の大切な「何か」は、戦火などによって失われるべきではないのです。良いもの、慕わしいものを抱きしめて離さず、それと戦争や平和の関係を考えてみれば良いと思います。

 またある日、同じくレトロ喫茶室の老舗である、四条小橋の「フランソア」に行きました。70年ほど前、雑誌『土曜日』(*1)を置いて、休日に訪れた深草師団の将校たちさえここでそれを読んだという、京都の近代文化の結晶のような美しいお店です。
「そんなことの起こりうる土地、京都だからこそ、新しい平和の波を興す可能性を信じている」と、鶴見俊輔氏が言及されていたこと(*2)も記憶に新しいのです。

いつもと変わらずレジに座るマダムが、珍しく「マッチを差し上げましょうね。」と、美しいラベルの箱を手渡してくれた、その傍らには…。
この冊子『PeaceMedia』が置かれているのです。

デカダンな洋館があり、自由なカフェーがあり、反戦をいう人たちがいる、というあり方が、店主は気に入っており、それを大切にしたいから、平和を願っているのでしょう。

 *  *  *

【編集註】
(*1) 『土曜日』は、1936~37年に中井正一氏らが発行していた雑誌。
反ファシズムの立場で、巻頭の標語に「生活に対する勇気」 「精神の明晰」「隔てなき友愛」を掲げた。カフェ等で配布・販売され、社会・文化運動を支えたが、治安維持法違反で弾圧・廃刊になる。

(*2) 引用は、2008年11月3日「憲法集会in京都」での発言より。

へいわ屋 2008年12月記 (PeaceMedia2009年1月号掲載)
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