2009.04.30

『詩の生まれる場所』 竹村正人 第8回 途上

<無視><否定><嘲笑>という、日本社会が今も取り続けている態度が、被害女性にとっては暴力そのものであるならば、その正反対の態度をもって彼女達に向き合うことが、最大限、私たちにできることなのではないのだろうか。
―――村上麻衣

 2004年12月4日、京都で日本軍性奴隷被害女性の証言集会が開かれた。当時、私は実行委員として関わり、京都大学の教室で李容洙さんの証言を聞いた。とても力強い人だ、とそのとき感じた。

 その後、私は証言集会から離れてしまって、うしろめたい気持ちが胸に留まっている。証言集会で教えられたのは、証言は語り手だけでなく、聞き手の勇気もなければ成立しないということだ。証言を聞くものは、加害者である自分、無視してきた自分に向き合うことになる。それでもなお、日常的な関わりをも大切に、取り組み続けている証言集会に私は畏敬の念を抱いている。

 李容洙さんのあの言葉、「私は、あなた方のことを本当に愛しています」という言葉が、まだ耳の奥で響いている。誰もが、自分に愛される資格などあるだろうかと考えただろう。私はその愛を受け止めきれず、逃げてしまったのだと思う。でも、「解決」への途上で悩みながらも歩みをやめない仲間たちがいる時、私の前にも道があることを知る。

 愛するということ、愛を受け止めるということ。その容易に分かれない影を見つめながら、私もまた、少しずつ、歩いていこうと思う。

手が届きそうで
まだ届かない
知れば知るほど
容易には分かれない影
青い砂をサラサラと
左手で受け止める
あなたの中に
まだ見ぬ胎児

指が届きそうで
まだ触れもしない
見つめれば見つめるほど
遠くなってゆく むらさきの海
トパーズ・イエローの空が
口を開け 落とした言葉
砂浜に散らばり 
足に突き刺さる

あの子を抱こう
あの子を抱きかかえよう

     (藤井わらび「むらさきの海」)

*冒頭は『阿媽的聲 Voices of Ah-Ma』(全国同時証言集会京都実行委員会、2007)より、文中の言葉は『李容洙さん証言録』(同上、2005)より、文末は藤井わらび『むらさきの海』(一〇〇〇番出版、2007)より、それぞれ引用。

証言集会・京都 http://shogenkyoto.blog70.fc2.com/

竹村正人 (PeaceMedia2009年5-6月号掲載)
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