金子監督のお父さんのこと、そしてストのこと Union Extasy リレーエッセイ 第5回
私の好きな映画に、金子修介監督「宇能鴻一郎の濡れて打つ」というのがあるのだが(これは傑作!)、この金子監督の父親というのが変わった人で、いつもスーツの上に「アメリカはベトナムから手を引け」と大書したゼッケンをつけて、毎日、電車通勤していたそうだ。私がなんらかの政治的(?)アクションを起こそうとするとき、なぜかいつもこの人のことが思い浮かぶ。
それはたぶん、「ひとりであること」を決しておそれないということ、たとえ人から白い眼で見られようとも自分なりのスジを通すことであって、それは大衆の支持を得るとか得られないとか、政治的実効性を持つとか持たないとかいうこととは関係がない。
私はいまこの原稿を、朝5時、京大時計台前のクスノキの下に張ったテントで書いている。私たち2名の始めた泊まりこみの無期限ストライキ(首切り職員村)は今日で13日目に突入し、今後の見通しも立っていない。
私たちの主張は、京大が非常勤職員の雇用期限を5年とすることに反対するものだが(*詳しくはユニオンエクスタシーのブログを参照)、大学側が今後、この規定を撤回するという保証もない。
そもそも私たちには、ストライキというのがどういうものか、よく分かっていなかった。ただなんとなく想像で、「私たちの考えたストライキ」をやってみたにすぎない。それが現実のストライキとどう違うのか――なにしろ本物のストライキをよく知らないので――分からない。でも、だんだんと分かってきたこともある。
組合費というのがストに備えて徴収されるものであること。ストは弾圧されるのだということ。やっぱり組合は数が大事だということ。そして労働運動のいちばん本質的なところに「ストライキ」というものがあるということ。
私たちの提起した低賃金と不安定雇用の問題が、これほどの共感を呼ぶとは思わなかった。「わしらスターダストや」を合い言葉に、たぶん数百万のオーダーで同じ境遇に苦しむ人たちが存在している。
そして、この運動をやればやるほど、これが広く女性労働一般の搾取の問題だということも分かってきた。京大の非常勤職員の85%は女性である。私たち2名は、今回、首を切られる当事者ではあるけれども、その意味では真の当事者でない。当事者の女性が声を上げられないシステムの中で、ただ不満や絶望だけが積み重なっている。
このテント村がいつまで続くのか分からない。たとえ学内的にはなんだか微妙なポジションにあるとしても、そしてこのストライキがあまりうまくいかない結果に終わったとしても、私たちは私たちにやれることをやっただけのことだし、それに違和感がある人は、またそれぞれが各自のやり方でやればいいと思う。今回、YouTubeで積極的に情報発信するという実験もやってみたが、これはとても面白かった。争議権をタテにして、京大のど真ん中にまるでエノアールのような空間を作れただけで私は満足だ。
金子監督の父親は先年亡くなったそうだが、その身につけていたゼッケンは、立命館の平和なんたらセンターに今でも保管されている、と聞いたことがある。いつか機会があれば見に行こうと思っている。(unagi)
京都大学時間雇用職員組合 Union Extasy
http://extasy07.exblog.jp/【2009年2月23日~ストライキ決行中】
606-8317 京都市左京区吉田本町
京都大学時計台前クスノキ下 首切り職員村【カンパ宛先】 京都中央信用金庫 百万遍支店
0955268 ユニオンエクスタシー
(PeaceMedia2009年3-4月号掲載)
Tags: わしらスターダストや, ユニオンエクスタシー, 労働, 反戦, 反貧困・憲法25条, 金子徳好・ゼッケン8年, 首切り職員村
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