2010.11.28

イルムから―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて(呼びかけ文転載)

はじめに

わたしは1960年に神戸で生まれた在日コリアン二世です。両親は済州島出身の一世です。私はいま、「中崎町ドキュメンタリースペース」というドキュメンタリーの制作グループを創り、大阪の釜ヶ崎を拠点に活動をしています。釜ヶ崎は、1960年代、炭鉱離職者や沖縄出身の人々などの日雇い労働者の街「寄せ場」として、1970年代からは高度経済成長を背景として多くの沖縄や未解放部落、在日韓国・朝鮮人などの人々が土木・建築、港湾などの底辺の労働に、従事してきました。現在では、産業構造や雇用形態の激変、労働者の高齢化により、「寄せ場」そのものの姿も変貌しつつあります。そのような中で、私は4年前の、2006年末、越冬闘争の撮影に参加する機会がありました。そして、2007年3月には、その釜ヶ崎において2088人の労働者の住民票が消除され、選挙権までもが奪われるという事件が起こりました。その様子をカメラに収め、ドキュメンタリーを制作する過中で、様々な人々と出会いました。

阪急梅田百貨店で起こった事

私が日雇いとして働いていた、大阪梅田の阪急百貨店の解体現場での事でした。そこでは、多くのフィリピンからの「研修生」という名目の移住労働者が、最低賃金の3分の1以下、月6~8万円の「手当て」で働いていました。私は特別永住権を持つ日本で生まれた在日朝鮮人二世であり「本名」で働いていました。ところが、雇い主によって、ヘルメットの前面に貼られた「本名」のシールを剥がされ、そして、裏側に貼ってあった「本名」のシールの上には「通名」のシールを貼られました。「本名」のままだと、「不法就労」防止のための「外国人就労届」を出さなければならないと雇い主が考えたのがその理由のようです。しかし、在日朝鮮人の場合、本名を使おうが、通名を使おうが、法的に「外国人就労届」を出す義務などなく、不法就労という事自体がありえません。他の現場では、「本名」で働いていても何も言われず、問題がなかったのに、何故突然、そこの現場でだけ、そんなことを言われたのかさっぱりわかりませんでした。(さらに、そこの現場では、入退場の時に、全員に指紋の押捺を義務付けるということもしていました。何故そんなことが必要なのでしょう?)多くの在日朝鮮人にとって、それは日常的に遭遇する不条理のひとつです。私は、いま現在も継続する「創氏改名」を問う裁判を起こしました。
2010年5月24日、私は、日本政府と大林組とその下請けの三者を提訴しました。

本名を名乗ることは人格権

自分が何者であるかを明らかにすることは「人格権」であり、自分の本当の名前が何かということは、自分がそれを決定する権利なのです。しかし、幼い在日たちは、それに気づくことができないほど主体を奪われています。「ある日、不意にわたしたちが自分は何者であるのか、を知らされるのは、わたしたちがはじめて他者に出会う小さな子どもの頃である。」「わたしたちは、この世に在るものとして生きていくために、仮りの名を自分のものにして、自分でない仮りの者に自分を似せていくのだ。この世が日本人のものであるならば、わたしたちは、より日本人らしい、日本人に自分を真似ていく。」(「李珍宇ともうひとりのRたち」より 朴壽南)

私が本名を名乗るまで

多くの在日コリアン二世がそうであるように、私もかつて、日本の学校に「通名」で通っていました。授業参観などでオモニ(母)が学校にやってくるのが厭でした。なぜなら、一世で無学で字も書けないオモニが来るとクラスのみんなに朝鮮人であることがばれるからです。14歳の時、外国人登録のため、クラスの皆に知られずに授業を休み、区役所に行き指紋を押す、その時、私はそれまでにも感じていただろう「チョウセン」という不遇性にもろに遭遇するのです。しかし、私はクラスで「本名宣言」をする勇気もなく、「指紋押捺拒否」も出来ませんでした。大学に入学し同胞学生のサークルに、勧誘されてようやく、「本名」を名乗ったのです。

創氏改名の歴史とは

1940年、「創氏改名」が行われました。「半島人ヲシテ忠良ナル皇国臣民タラシメル」(朝鮮総督南次郎)ため、朝鮮に固有な男系の血統による「姓」を天皇制下の日本式の家の呼称である「氏」に変えました。それは同時に朝鮮の家族制度を日本化する「皇国臣民化政策」のひとつであり、その一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に変えさせたのです。

しかし、「創氏改名」は朝鮮が初めてのことではありません。1874年(明治6年)明治政府はアイヌ民族に「氏」を強制しました。民族的な風俗を禁じ、固有の宗教、土地を奪い、狩猟活動も禁止し、「皇国臣民化」教育という同化教育を行いながらアイヌ民族を「旧土人」として差別しました。また、琉球人(ウチナンチュ)の名前は、薩摩藩と明治維新での廃藩置県という二度の琉球征伐の中で、沖縄の命名習俗を一掃し、琉球人を日本の戸籍へと強制的に編入していきました。金城という姓は「かなぐすく」から「きんじょう」へ、そして「かなしろ」あるいは「かねしろ」へと変わっていきます。かつての大日本帝国が、様々な非「日本人」と帝国臣民である「日本人」を生み出し、そして、それらの人々を同化し、あるいは差別、排除、抹殺、序列化し、アジアを侵略していったことを忘れてはなりません。

人類館事件について

それを象徴的にあらわす事件として、1903年、「人類館事件」が起こりました。日清戦争の戦勝気分に沸くさなか開催された、第5回内国博覧会の「学術人類館」において、世界の「人類地図」男女一対の50組の図版とともに朝鮮人、アイヌ民族、台湾の先住民、沖縄人などの人々が民族衣装姿で「展示」されました。『「見る」側は好奇な差別的眼差しと優越感で「見られる」側に恐怖感と劣等感を植えつけてゆく。そして、「見られる」側はそれから逃げようとして、差別者への同化、迎合せざるを得なくなってくる。』(「内なる人類館」解体のために 金城薫)「天皇制」「戸籍制度」を背景にして、被植民地の人々を「創氏改名」などにより、名前を利用することによって、巧妙に日本に同化させていきます。各人、あるいは各集団固有の文化を劣ったものとして、捨てるべく誘導していったのです。

戦後も残る「創氏改名」

「創氏改名」は過去の話ではありません。戦後も「創氏改名」は根強く残りました。日本政府は外国人登録の氏名欄に本名以外に「通名」を併記することを認め、公的書類にも「通名」使用を承認し、誘導しました。現在も在日朝鮮人の多くは根強い民族差別のために「通名」を使用せざるをえない状況にあります。大阪府外教調査(1994年)では、日本の公立高校に通う在日子弟の本名使用率はわずか12%です。ある在日三世の高校生K君が飲食チェーン店に本名で面接に行ったら、唐突にパスポートを見せてくれと言われたといいます。K君はオモニに、こう言いました。「オモニたちが何年(本名の)運動やっても日本は変われへんやん。僕は韓国に行くわ。韓国に行って、韓国でも僕は差別されるけど、生まれた子どもは差別されへんやろ。」その言葉は私の胸を刺します。また、ベトナム難民二世の子供たちも「本名」と「通名」で悩んでいると聞いて驚きました。北朝鮮に対する悪質な報道や朝鮮学校の無償化問題にも象徴されるように、日本の社会に体系的な排除、包摂の論理が、肉体化されているのです。

Kとの出会い、そして提訴へ

今回、訴訟にはもう一人日本人のKいう原告がいます。Kはお父さんが中学校の校長先生であり、K自身も進学校の高校に通っていたのですが、閉鎖的でマンネリな学校や家庭に反発し中退して、あちこちを放浪し釜ヶ崎にやってきたのです。Kは37歳で型枠大工として釜ヶ崎で働き、ドヤに住んでいました。2007年3 月、釜ヶ崎解放会館に登録していた2088人の住民票が一斉に削除されて、選挙権が奪われたとき、Kはその釜ヶ崎解放会館に「住民票」を置いていました。Kは当該として本人訴訟で一定の勝利判決を得ました。Kは、私の「創氏改名」されたヘルメットを見て、滑稽だと笑いながらも、一晩で共同原告としての訴状を書きあげました。そして、参議院選挙(7/11)を控え、「本名裁判」の第一回口頭弁論直前(7/8)に、なんと別件で逮捕(6/29)されたのです。Kは今も、大阪拘置所に不当にも長期拘留されていますが、私に裁判資料を送り続けているのです。

이름(イルム)から―

現在、日本に在住する外国人は221万人を超え、日本の人口の1.74%を占め、また、そのルーツの多様化も進んでいます。グローバル化や少子高齢化の流れの中で、多くの「研修生」「実習生」など、さまざまな在留資格に細分化された外国人が、この日本に暮らしています。また、祖国から政治的に迫害され避難して来た「難民」も多くいるのです。一方でかつてのオールドカマーを代表する「在日韓国・朝鮮人」の人口は日本国籍の取得や、日本人との婚姻した子供たちが日本籍を選択するなどにより減少を続け、現在58万9千人となっています。国籍別で増加しているのは中国人が65万5千人、ブラジル人が32万2千人、フィリピン人が21万人となっており、無国籍の人たちも1,525人います。(2009年7月入国管理局発表)そして、日本で生まれてくる子供たちの30人にひとりのどちらかの親が外国籍なのです。

先日、群馬県の小学校六年生の上村明子さんがクラスでのいじめが原因で自殺するという傷ましい事件がありました。詳細はわかりませんが、いじめられた原因が、お母さんがフィリピン人であることと伝えられました。上村明子さんが自らの出自を隠さず、民族名やあるいは、日本名と民族名を併記したダブルネームを名乗り、当たり前のように、受け入れられ、名前を呼ばれる環境が学校や地域や家庭にあったならばと思います。在日朝鮮人だけではなく、他の外国人が自らの出自を隠し、そのアイデンティティが自他ともに見えなくなる状況が発生しています。民族的アイデンティティの危機を克服することなしに国際化や多文化共生がなされることはありえないでしょう。多くの在日朝鮮人や在日外国人の子供たちが自然に本名を名乗ることができるように、この裁判がひとつの問題提起になればと思います。「이름(イルム)から―」いっしょに考えていきたいと思います。

(NDS=中崎町ドキュメンタリースペース)金稔万(きむ・いんまん)


「이름(イルム)から―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて」は、この裁判への、多くの人々のご支援をお願いしたいと思います「이름(イルム)から―」に対する個人・団体での賛同をお願いします。そして、ぜひ、メッセージをお寄せください!

「이름(イルム)」とは、朝鮮語で「名前」のことです。

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