かげもん 『京都というまちを考える試み。』第14回 とてもしょぼい入場料都市
私が9ヶ月ぶりに京都に住み始めたのは、今年の2月であるけど、とても驚いたことがある。それは自転車置き場の有料化である。御池通りの広い歩道に自転車専用の柵ができていて、そこに金を払って自転車とめるのだ。あのシステム自体にけっこう金がかかっていそうで減価償却できているか心配になる。ケチくさい仕組みで、利用者から金を取るという考え方しかできない人が行政で力を持っているんだなと思うと、京都に住むことに消極的にさえなる。しかしこれは京都だけの問題ではなく、自転車駐輪に金を取るという、とんでもない動きが全国的に広がっているようだ。
あの有料自転車置き場のおかげで街が綺麗になるということが、おそらく宣伝されているのだろうが、それは間違いである。街を綺麗にするということは、私たちが街を使用しやすくなるためではなく、街を金儲けの一部に組み込むこととして理解するほうが正しいだろう。つまり、鴨川条例が京都の景観を観光資本(もうけを生み出すもの)として解釈したように、私たちの生活はすでに観光資本としてとらえられているのだ。言い換えると、私たちの生活が、道路の綺麗さに従属させられるということでもある。自転車駐輪に金がかかるということは、つまり京都市中心部には「入場料」が発生するということだ。駐輪代を払うという条件をクリアした人々で構成される京都という街は、とてもしょぼい。そう、街は金を払って利用するのではなく、「使用」するものである。
京都において自転車放置は大問題である。いかに撤去されないように止めるか注意しなくてはならないし、駐輪場も足りない。それへの解決方法として有料駐輪場しか考え出せないということは、京都のしょぼさを現している。必要なのは条件のない無料駐輪場であり、金儲けのためにあくせくしない、ゆたかな都市である。
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