かげもん 『京都というまちを考える試み。』第10回 うんこ条例である鴨川条例が施行される。
2008年4月1日から京都府では鴨川条例なる条例が施行された。議会とかに疎い私だけども、条例が審議されている当時から、この条例に対しては強烈な違和感を持っている。
鴨川条例とは、鴨川の美観を守るためにバーベキューを禁止する、というような条例である(私が理解している範囲の超単純な図式です)。学生は、夜な夜な、あるいは昼から、出町柳の鴨川三角州でバーベキューをする。これは本能的なものであり、とくに新入生歓迎シーズンの春先は桜の影響も混じって、非常に大きな文化生産の原点として鴨川という場所と、バーベキューという行為がクロスして、とうてい足し算ではあらわせないような雰囲気をつくりだす。しかし、美観を害するからとか、マナーが悪いという理由で、バーベキューを禁止するのは、果たして京都に住んでいる人間にとってどのようなメリットがあるのだろうか?答えとしては、まったく無い。
確かに、ゴミを放置したり、夜中に花火をしたり、そういったことは、近所の人や、鴨川で生活している人にとっては相当な迷惑行為だろう。しかし、かといって行政が禁止することはどうだろうか?
私たちが注意すべきことは、環境問題や美観を守る運動は、べつにファシズム下でも可能である、ということである。これまでもずっと花見では人びとは乱れてきたし、学生も出町柳で乱れてきた。マナーも悪いのが当然だった。それでもなお、なぜ今このような条例が施行されるとは、どのような意味なのだろうか?そのような文脈を無視して、ただ単に「マナー向上のために」とかだけで正当化してしまっていいのだろうか?
条例が施行されて以降、鴨川のバーベキュー禁止地区では条例を告知するために巡回する人がうろうろしているらしい。「条例違反だからダメ」という論理で、わたしたちのまちが奪われているという感覚を持つことが必要だ。わたしたちのまちは、わたしたちでつくっていかなければ、おもしろくない。
バーベキューは、家の中でフライパンを振るうよりも、料理としては、効率的ではない。しかしながら、みんなバーベキューが好きな理由は、効率ではどうにも表せない楽しさがあるからであり、人が集まるからだ。その楽しさを追求すること、その単純なことに対して「美観」とか「マナー」とか言われて禁止されたらたまらない。つまり、楽しいことが「起こる場」として鴨川があるのであり、わたしたちの「楽しさ」の場を、鴨川条例は奪ったのである。
この文章は鴨川条例に対する宣戦布告でもある。
鴨川条例を今すぐ廃止にすべきである。夏は外でバーベキューしたり、
酒を飲んだりすることによって文化が育まれるのであるから。
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