2007.12.23

『へいわ屋漫筆』第12回 「品格」考

(この原稿は、2007年末に戴いたものです。)

 PM読者の皆さん、こんにちは。
年末に読まれる方、一年間ありがとうございました。
年始に読まれる方、今年もよろしくお願いいたします。

 さて、本好きのへいわ屋ですが、最近はなかなかまとまって読書する時間が取れず、禁断症状気味に。で、新聞の新刊コーナー走り読みで渇を癒すこともしばしば。そんな中で気づきましたが、ここ2年ほどの間で「~の品格」というタイトルがとても多く出版されていますね。

テレビドラマにもありました。周囲でも、それ以前に比べると、気軽に口に出して使われるようになりました。個々の内容はともかく、こういうタイトルが連鎖的に発生するって、何かを意味しているように思えてなりません。

 みんな、「品格」に触れたり知ったりしたいのでしょうかね?それとも誰かが「品格」をはやらせたいのでしょうか?今になって急になぜでしょうね。

 へいわ屋はこの流れにナショナリズムを感じています。その安直な流行は「品格」の無さを物語っているように思います。

 へいわ屋だって、「品」という、眼に見えないものの存在は信じ、とても重い価値を置いています。「品」って茫洋として、でも確固として崩れないもの。数冊本を読んだだけでは到底身につかないもの。他者への熱い想いに支えられるもの。

 そう。得るのがとても難しい、価値あるものだと思うのです。「品」に骨格を与えて見えやすくした言い方。「品」に格付け(ランキング)をした言い方。それが昨今流行の「品格」の正体じゃないでしょうか。

 へいわ屋は皆に「品」をもって欲しい。へいわ屋の考える「品」とは『~の品格』のように、「他者と自分は違うんだ」という高慢な差異化や、緩やかな攻撃を含んだものではなく、優しきものです。

 エラい人におすがりして教えてもらうものではなく、自分で模索していつの間にか身につくものです。なにより、へいわ屋は品高くありたいです。

 *  *  *

【 追悼 】

 この原稿を書いている数日前、林功三さんの訃報を聞きました。へいわ屋は身近く行動することはありませんでしたが、一度重要な場面でご一緒する機会がありました。寒い大阪の街を、端然と歩いていかれる後姿を覚えています。権力に絶対なびかず、静かに理を説く。品ある方でした。へいわ屋漫筆をほめて頂いたことがあると、PM編集長から初めて聞きました。
遠いところにいかれても、拙稿を見ていただければいいのですが。
ご冥福をお祈りします。

【編集者註】 林功三さんは「『心の教育』はいらない!市民会議」代表。
京大名誉教授(専攻はドイツ文化・社会史)。2007年逝去(享年79)。
日独の歴史認識・戦争責任のあり方の違いを研究。「…ことに日本の戦争責任と「戦後」への問いから、戦後ドイツの「過去の克服」を生涯のテーマとされてきました。」

(C)へいわ屋2007/12/22記 (PeaceMedia2008年3-4月号掲載)
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