2009.03.14

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 第6回 夢

 二年前から通ってきた生野区の小さな高校で卒業式があった。式が終わった後、受け持った卒業生と一緒に近くの喫茶店でおしゃべりをしていると、この二年間のいろんなことが思い出された。

 はじめて授業をした日、「新しい先生」を楽しみに集まった生徒の前で、ぼくは唐突に自分の過去を語り出した。学校が嫌いだったぼくがいま教壇に立っている矛盾を、ただ自分のなかに仕舞いこむのでなく、彼らと共有しよう。ぼくたちが集う教室を、教師と生徒が一緒になって言葉を作り出す場所に変えてみよう。出会ったばかりの彼らに、学校を拒否していたころの自分が何を感じ、考え、生きていたのか、表現に飢え、葛藤し、疲労した闘いの日々を、ぶつけた。それが授業のはじまりだった。

 多くの生徒が、いじめや不登校、引きこもりなどによって学校からドロップアウトした経験を持っていた。家庭の問題によって、生活がなすすべもなく壊れていった過去を持つ生徒もいた。勉強の遅れ、仲間との齟齬、大人への不信、そうして取り返せなくなった真っ白な時間に彼らは留まり、苦しんでいた。出会ったころの彼らが年齢のわりに幼く映ったのは、そのためだったのかもしれない。

 山田洋次が撮った『学校』という映画を、みんなで観たことがあった。
『学校』は、東京の夜間中学を舞台に、先生と生徒とが交わした人生をめぐる対話を描く。年老いた一人の労働者が名前だけは漢字で書けるようにと夜間中学へ通いはじめる。ある日、彼は思いを寄せていた先生に手紙を送る。だが、恋は実らない。そして患っていた病気がもとで、彼は死んでしまう。彼にとって幸せとは何だったのか。通夜の晩、雪が深々と降りしきる校舎のなかで、残された生徒と先生は、自らの人生を見つめる対話を開始する。

 学校とは何か。映画を観終わったとき、ぼくは生徒にそう投げかけた。学校は勉強をする場所だと、誰もが思っている。では勉強とは何か。自分のなかに何が育っているのか。二年間の授業は、ただこの問いを繰り返す時間だった。

 三年生になって授業に参加しはじめたSという生徒がいた。寡黙で、自己主張をほとんどしない彼に、なぜ選択制のこの授業を取っているのか疑問に感じたことすらあった。しかしSは、その後も休まなかった。

 日常的に接していると、生徒の変化や成長に気がつかないときがある。Sもまた、そんな生徒の一人だった。周りが学びとは何かについて、自身の経験から語りはじめても、彼はじっと押し黙ったままだった。あるとき彼は、思いついた言葉をプリントに小さく書き込んでいたことがあった。生活へのいらだちを表出したようなわずかな文字だけが、ぼくが知ることのできた彼の内面だった。

 六十人ほどいる三年生のうち、大半が地元の中小企業に就職活動をしていて、大学や専門学校に進学する生徒は、わずかしかいない。「大学全入時代」と呼ばれる現在の状況ですら、この学校からは遠い世界の話に聞こえる。「大学全入」と言っても、お金さえあればという話であり、一度学校の外に放り出された経験を持つものにとっては、そのハードルはとてつもなく高かった。また、就労構造の変化が、この学校のような専門学科の就職率低下をもたらし、卒業と同時に進路が決まるケースが年を追って減っている。だから先生たちも希望進路を実現させたいと必死になるのだが、当の生徒は大きな夢を持つことを避け、目前にある無難な選択にしがみついてしまっていた。人が現実に縛られる状況ほど、悲惨なことはない。変化に対する不安が、やがて自分へのあきらめになっていく。生徒たちはみな、そんな自己と格闘していた。

 人生を変えたい。それはただ「未来の成功」を夢見ることだけを意味しない。学校が人生の通過点で、成功の切符を手にするための競争の場であるとするのなら、そこでの学びは、単なる道具でしかなく、むなしいものとなるだろう。だが、それでも学校は、人生を変えたいと願う人間の集う場所であることに変わりない。

 詩を読んだり、戦争や労働、学びといった社会的な問題を授業のなかで扱っていくうちに、Sは少しずつ自分の置かれた現実と向き合い、言葉を発するようになった。

 最後の授業になった今年二月、ぼくは生徒たちを学校の外に連れ出し、京都で市民運動にかかわってきた友人と交流する場を設けた。そこで生徒たちに「卒業制作」として書いてもらった小論文の発表会をすることにした。Sもまたこの日に向けて、作文用紙を家に持ち帰って、長い文章を仕上げてきた。当日、彼は『自尊心』と題した文章を全員の前で滔々と語りはじめた。

私は、今ではそれなりの自尊心を持ってはいるが、数年前までは「自分は必要とされているのか」、「周りの人間は自分のことをどうおもっているのか」、「自分が居なくなっても、何も変わらないんじゃないのか」などということを、よく考えていた。だが、ある人物との出会いが、そうした自分を変えてくれたのだ。それは「友人」との出会いだ。私は、彼と付き合いを重ねていくうちに、彼の考えを理解し、彼への憧れが次第に目標に変わり、「自分も変われるのではないだろうか」という自信が生まれ、それからは人に対する好き嫌いをなくそうと心がけたのだ。そして、そういった友だちと付き合っていくことで自尊心が芽生え、以前よりも他人の尊厳を重んじることができるようになった。

(Sが書いた『自尊心』から引用)

 名の知れた評論家が、秋葉原事件のような若者の犯罪を、自尊心が持てず容易に人を傷つける若者心理のせいにするのを耳にする。だが、彼は反論する。自尊心は他者に対する尊敬のなかからしか生まれない。人のやさしさに触れたとき、「わたし」ははじめて自分自身への信頼を確かなものにできる。冷徹な周囲の現実が、今度は信頼しうる世界となり、自分を変える力となっていく。人生は変えられる。彼はそう断言する。

 Sの変化に最初に気づいたのは、彼の友人たちだった。授業を通してSが変わっていくのをみていると、自分と一緒に歩いてくれていると思えてうれしかったと言った。友人たちも、変わろうとしていた。

 最後の授業は、いじめやつらい経験を強いられた過去を、分かち合う場になった。家庭の崩壊を小学生のときに経験した生徒は、「何かが崩れていくような感覚だった」と話した。中学校のころに受けたいじめの記憶を語りだした生徒もいた。別の生徒は、自分に自信がないと悩みを打明けた。八時間に及んだ長い一日は、言葉が切ないくらいに人を結びつけ、やさしく包み込んでいた。言葉は、ぼくたちの希望になった。過ぎていった時間は、出会ったころに観た『学校』の続きのようだった。

 人は一人では生きられない。学校はそれを学ぶ場所だったはずだ。言葉を分かち合い、それぞれの人生や歴史を受け止め、ともに生きることを、ぼくたちは自分自身のなかに育んでいく。この学校で彼らから学んだのは、そのことだった。

 卒業式の帰り、Sは天文学を勉強するために大学を受け直したいと言った。ぼくが彼からはじめて聞いた「夢」だった。

ハギハラカズヤ 2009年3月記
(PeaceMedia2009年3-4月号掲載)
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