2008.08.26

『へいわ屋漫筆』第16回 夏日

○ せめて我が涙召しませ原爆忌

 いつの頃からか、怒ることはあっても涙するということがほとんど無くなった、情の強いへいわ屋店なのですが、今夏は不思議に涙の落ちる時がありました。

 同じく、中学生の頃、歌詠みに目覚めつつも、昨今は歌に発露するほど詩想の高じることが無かったのですが、この1月でいくつか出来ました。
 この稿に載せるのも気後れするようですが、今夏の記録として紙面を借りることにしましょう。

 数年来、8月6日の朝は三条川端の檀王法林寺で行われる「原爆犠牲者・戦争被災者追悼法要」に寄せてもらっています。この頁に載せた俳句や短歌は、今年の8月6日に読んだものです。

 昨年の参列の折、お供物にと思って「9条せんべい」(瓦煎餅で、憲法9条が意匠にしてあるもの)を持参しました。
このことを広島出身の平和仲間に話すと、「原爆の犠牲者の方たちは水を欲しながら亡くなったのだからね、広島ではお盆のお供えに乾いたものは供えないのです。」「季節からも桃がよく供えられます。」「でも9条せんべいなら趣旨がお供えに合っていると思います。」
こう教えてくれました。

 店主は初めて聞く話だったので強烈な印象を受けました。彼の土地で記憶は風化しないのだと。夏ごとに、出盛る桃の手触りと同時に甦る記憶なのだと。

 本堂に掛け巡らされた関係図版に、夏の朝の軽い風や光の美しさに、また、通勤途中の若いサラリーマンがお参りされている姿の尊さに、今夏は涙が滂沱と流れるのでした。
 冒頭の発句はそうした中で出てきたものです。今年は何のお供物も用意出来はしませんでしたが。

 「原爆犠牲者・戦争被災者追悼法要」には仏教のお坊さん方だけでなく、私の敬愛するキリスト教の大江真道牧師のお姿も見えました。

○ 白衣なる牧師も居ます本堂に

 檀王さんにはいつも歌の聞こえる保育所もあります。

○ 金魚(きんとと)も姫様もあり盆灯篭 園児の声は風に高まり

 檀王さんからの帰り道に生き物の姿を見て、
戦争犠牲者を強く意識しました。

○ 鷺低く飛ぶや疎水に原爆忌

 今年の8月6日には、臆面も無く涙と洟水を垂らしつつ、「自分は生きているのだ」ということを実感したように思います。
 「死んだ男の残したものは」という歌の中にもありますが、生きている「私」と生きている「貴方」だけが、どういう未来をもつくり得るのだと、改めて感じいった訳なのです。

へいわ屋 出店情報

10月4日(土)13時~19時
兵庫県須磨離宮公園にて開催の「そら祭り」に出店決定。
http://www.soramatsuri.com/2008/
http://soramatsurikobe.seesaa.net/
新しい平和仲間と出会いに行ってきます。

(C)へいわ屋 2008年8月記 (PeaceMedia2008年9-10月号掲載)
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