『労働&エクスタシー』 Union Extasy リレーエッセイ 第2回
(※前回は、なみー委員長が、当組合のこれまでの活動を紹介しました。
今回は、「ユニオン・エクスタシー」の名前について。文責unagi。)
「ユニオン・エクスタシー」という名称は、やや強烈にすぎるのか、実際に組合員を勧誘する際には障害となることが多い。私たちはふだん大学の図書館で働いたり、秘書をしたりしているのだが、大学職員(とくに非常勤)は女性が多いので、まずもってこの名前でひかれてしまう。「いや、決して、そんな、いやらしい意味じゃないんです!」「エクスタシーというのは『脱自』といって、自己から飛び出すことなんです!」などとオルグしても、なかなか話を聞いてくれない。「なんかあやしい」と思われてしまう。
けれども、私たち組合員は、皆この「ユニオン・エクスタシー」という名前を気に入っている。さしあたって名称変更する予定もない。「労働に悦び(エクスタシー)を!」というスローガンは革命的だ、とさえ思っている。
そしてこのスローガンを発明した人(=きょへさん)によれば、「労働に悦びを!は、労働しない、働かない、に近い。(事実上そうなる。)」とのことだ。
一体どういうことだろう?
最近出た『怠ける権利』という本の中に、「もう1日3時間労働にして、うまいもの食って、怠けて暮らそうゼ!」みたいなことが――買ったばかりの本を酔っ払ってどっかに置いてきてしまったので正確に引用できないが――書いてあって、ひどく感銘を受けたのだが、たぶんこれと同じようなことなのかもしれない。
それがどういうものかよく分からないが、いま私たちのやってる労働がくだらなくて退屈極まりないものであるとして、それとはまったく別種の労働、生きた労働が(きっと)存在している(はずだ)ということ。そしてそれは「うまいもの」すなわち鰻を食べたり、ラララ~と唄ったり、あるいは河内音頭を踊ったりするような、悦び(エクスタシー)の実践とまったく同一のものである(べき)ということだ。
むろん、労働の「悦び」や「やりがい」が、資本家にすべて掠め取られてしまうような、悲惨な職場は数多く存在する。エクスタシーどころか、現実の職場はいつも性差別やパワハラばかりで、誰だってもうウンザリだ。しかし、それでもまず、自分たちの職場に、唄・ダンス・バーベキューetc.を導入することから始めよう、と私たちは考えた。
エロス的な関係は、自己を超え出て、他者へとつながっていく。スローガンの発明者(=きょへさん)は、かつて大学構内に「ジュテーム」という名のラブホテル(小屋)を勝手に建設してしまったぐらいのつわものだから、当然、そこにはなにがしかの性的な含意もあるのだろう。
しかし、私たちが「エクスタシー」を「Ecstasy」でなく、あえて「Extasy」と綴っているのは、まあそのほうが格好いいということもあるけど、やはり何よりも
「Ex」ということが大事だ、と思っているからだ。つまり労働とは、そしてエクスタシーとは、端的に、「外に出る」ことなのだ。(続く)
(PeaceMedia2008年9‐10月号掲載)
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