2009.04.30

台湾訪問記(2009.3.19-24) セラピー・ワークショップに参加(証言集会・京都)

「必ず阿媽に会いに台湾へ行くよ」。
昨年11月、台湾から92歳という高齢の呉秀妹(ウ・ショウメイ)阿媽(アマー・台湾語でおばあさんの意味)の2006年に続く二度目の京都での証言集会を行ったとき、私たちは阿媽と約束しました。さっそく台湾での阿媽たちの支援組織・台北市婦女救援基金会(婦援会)の担当の慧玲(ホエリン)と相談したところ、3月に阿媽たちのセラピー・ワークショップを行うのでそこに来ない、という返事をもらいました。京都から総勢9名(うち東京在住1人、香港在住1人を含む)で、超ハードスケジュールの台湾訪問となったのです。

婦援会では阿媽たちのために、2ケ月に1回、とてもユニークなワークショップを開催しています。阿媽たちの心の痛みをとっていくためのワークショップは、非公開で一般的には参加できませんが、2006年以来何度かの阿媽たちとの交流を重ねてきた私たちは今回参加を許され、行動を共にすることができました。

ワークショップ1日目は、市場に行って食材を買いながら、幾つかの指示に基づいて写真を撮るというものです。事前の説明は少しだけで、いきなりタクシーに乗って台北の市場へ。先生の出した課題は、けっこう難しい。

  • 1 鏡など光るもの、反射するものを写す。
  • 2 果物、野菜など同色のものを写す。
  • 3 レンズを半分隠して写す。
  • 4 他の阿媽とペアになり、目をつぶって、ペアになった阿媽に誘導してもらって、写す。
  • 5 動物を写す。生きているものでも、死んでいるもの(たとえば肉)でもいい。
  • 6 自分の好きなものを写す。

などなどでした。

私たちはよく理解する間もなく、開始されていったわけですが、阿媽たちは、「今回はどんな楽しいことをするの?」と、ワイワイと市場へ繰り出しました。秀妹阿媽は、とうもろこしの品定めにこだわり、豚肉のかたまりの前では「肉の色が悪い=古い」と私たちに解説。今でもバスに乗って市場まで買い物に行っている阿媽の生活を垣間見るようでした。

私たちはデジカメを持ち4名くらいが1チームになって阿媽と行動。阿媽が撮った写真を後で見ると、そこには阿媽たちのいろいろな「まなざし」が表れていました。阿媽たちはカメラの使い方に慣れていませんが、野菜や果物が色鮮やかに楽しそうに撮られていたり、古い鏡を見つけて鏡に映った自分の姿を撮ったり、と斬新で芸術的な作品がたくさん撮られていました。

この日は続いて、「メモリーBOX」の作成が行なわれました。阿媽たちの思い出と関連することを、雑誌の写真の中から切っていき箱に貼ってくというものです。これもまた阿媽たちはすぐにその世界に入って作業をどんどん進めていきます。私たちは、それぞれの阿媽のお手伝いをしました。

イアン・アパイさんは、男女が手をつないでいる姿を切り出し、「これは私と夫よ」と教えてくれました。亡くなった夫を自慢する姿にこちらも顔がほころびました。イワル・タナハさんは、大きな、裸の女性の後姿を切り抜いていました。箱の真ん中にそれを貼り付けている姿をみて、とても心が痛みました。蘆満妹さんは美しい女性の写真を切り抜き、若い時のとても美しい自分の写真も見せてくれました。阿媽たちは最後に、自分たちの作品の説明をしました。阿媽たちの思いの一端に触れたような気がしました。

そして翌日は前日市場で買った食材で調理です。台湾の調理用品メーカーが場所を提供し、婦援会の理事の一人で有名な美しい女優さんも参加して行われました。料理は阿媽たちにとって、誰もが身近で得意なものです。小桃阿媽は大量のビーフン料理、秀妹阿媽はたくさんの野菜の入ったスープ、陳樺阿媽はイカを使った炒め物を手早く作り、タロコの阿媽たちは手際の良さでは群を抜いていました。イアン・アパイさんは「タロコのほうが野菜が新鮮で安い。前から聞いていたら野菜を持ってきたのに!」と何度も言われました。私たちは材料を刻んだりお手伝いをしました。阿媽の日常をのぞいているような、楽しい時間でした。

最後に、これら阿媽たちの手料理をみんなで食べました。どれも薄味で、野菜がたくさん使われていて、とてもおいしい!健康的!日本グループもぜひ料理をと頼まれ、白味噌汁、焼きナス、ホウレンソウの煮びたしなどを作りました。

これらワークショップを通じて、阿媽たちはとても能動的で自ら楽しみを作り出していることがわかりました。この日がくるのを待ち遠しく感じていることがわかりました。再会を喜びあう阿媽たち。私たちとの再会もとても喜んでくれました。こうした時間は、参加した私たちにとってもとても癒される楽しい時間でした。

阿媽たちと高雄を旅行

今回の台湾訪問では、高雄に住む小桃阿媽を訪問することができました。今でもヤシの実を売って1人で生活している阿媽です。この1泊の旅には秀妹阿媽、陳樺阿媽と他に2名の阿媽が一緒に行きました。4名の阿媽と京都から9人、東京の柴さん、婦援会の3名の総勢17名です。写真集でしか見たことがなかった光景、阿媽がヤシの実を鎌でカットしているところを実際に見せてくれました。ほんのり甘いヤシのジュースはとてもおいしかった。この果物市場に阿媽は1人で住んでいて、たくさんの人と一緒に働いていることがよくわかりました。

高雄では、黄阿桃阿媽にお会いすることができました。阿媽は台湾で初めてカムアウトされた方です。足が不自由で外出がなかなかできないとのことでした。ビデオでしか見たことのない阿媽に会え、とても感動しました。他の阿媽たちの訪問をとても喜んでいました。

高雄への訪問以外に、私たちは老人ホームに入所している李淳阿媽と、毎回ワークショップに参加しているが今回背骨を傷めて参加できなかった陳阿媽のお宅を訪ねることができました。陳阿媽は最初は痛そうにゆっくり歩いていましたがだんだんと元気になり、腰を振って「あれ、もう痛くないよ。」と楽しそうに笑ってくれました。

この他にも、たくさんの場所を観光し、夜市を歩き回ったり、故宮博物館に行ったり、たくさんの台湾料理を食べたり、台湾滞在中その全てを一緒に行動してくれたのは秀妹阿媽でした。秀妹阿媽は、2006年初めて京都に来てくれたとき以来、私のことを「日本の娘」と思ってくれている阿媽です。今回の再訪は「夢がかなってうれしい」ととても喜んでくれていました。滞在中はずっと阿媽の手を取り、一緒に行動し、ご飯を食べ、ホテルも同室にしてくれ、阿媽と一緒にお風呂に入ったり、身の回りのお世話ができてとてもうれしかったです。滞在中は毎日朝から夜まで動き回っていて、阿媽に「疲れた?」と聞いても必ず「疲れてない」と答えます。阿媽だけ早くホテルに帰るように手配しようとすると、「みんなと一緒にいる」と絶対に帰りません。「疲れたとは言わないと決めている」のだそうです。

それは92歳の阿媽の毅然として生き抜いてきた人生観に触れたような気持ちがしました。私は「日本の娘」として、阿媽に恥じないような生き方をしないといけない、と思いました。日本軍「性奴隷」問題の解決のためには小さな一歩ですが、阿媽たちの尊厳が少しでも回復できるよう交流を重ねていきたいと思っています。

【寄稿】 浅井桐子 2009年4月記
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会
(PeaceMedia2009年5-6月号掲載)

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