2011.09.14

柄谷行人さん「反原発デモが日本を変える」 新宿アルタ前の演説全文(文字起こし) 2011年9月11日

【参照動画】 2011 9 11 新宿アルタ前 柄谷行人 演説

(動画より文字起こし)

(スタッフに、マイク音響を確認)
これで聴こえる?えー、なんというか、僕は、難しいことをいう物書きなので、しゃべるのは苦手で、今日は草稿を書いてきました。
(再び、スタッフにマイク音響を確認してから、話し始める)

この4月から反原発のデモに参加しています。
このアルタ前にも、6月、6・11デモで参加しました。

私がデモに行くようになってからいろんな質問を受けます。しかもたいがい否定的な質問です。そのひとつは、「デモで何が変わるのか?デモで社会を変えられるのか?」というものです。

私はこう応えます。もちろんデモで社会を変えることができる。
確実にできます。なぜならば、デモをすることで、デモをする社会をつくれるからです(大きな歓声)。

考えて欲しい。今年の3月以前に、日本には沖縄を除いてデモはほとんどなかった。それがいま、日本全国、今日もたぶん100ヶ所以上でデモが行なわれています。その意味で、日本の社会は少しは変わった。これは明らかです。

例えば、福島原発の事故のようなことがドイツやイタリアで起こればどうなるか?あるいは韓国で起こればどうなるか?巨大なデモが国中に起こるでしょう。しかしそれに比べれば、日本のデモは異様なほどに小さい。しかしそれでもデモが起こったことは凄い、救いであると私は思います(拍手)

デモは主権者である国民にとっての権利です。デモができないなら、国民は主権者ではない(拍手)。
例えば韓国では20年前までデモは出来なかった。軍事政権があったからです。しかし、それを倒して国民主権を実現した。デモによって倒したのです。そのような人たちがデモを手放すはずがありません。

では日本ではなぜデモが少ないのか?何故それは変なことだと思われているのか?それは、国民主権を自分の力で、闘争によって獲得したからではないからです。日本人は戦後、国民主権を得ました。しかしそれは敗戦によるものであり、事実上、占領軍によるものです。つまり自分で得たのではなく、与えられたものです。では、これを自分自身のものにするためにはどうすればいいか?それはデモをすることです(拍手)。

私が受けるもうひとつの質問は、「デモ以外にも手段があるのではないか?」というものです。確かに、デモ以外にも手段があります。そもそも選挙があります。その他、様々な手段があります。しかし、デモが根本的です。デモがある限りその他の方法も有効になりますが、デモがなければそれらは機能しません。今までと同じことになります。

さらに私が受ける質問は、「このままデモは下火になっていくのではないか?」というものです。
戦後日本には幾度も国民、全国的な規模のデモがありました。しかしそれは長続きしなかった。今回のデモもそうなるのではないか?というわけです。確かにその恐れはあります。マスメディアでは既に、「福島の事故は片付いた」「ただちに経済復興に取り組むべきだ」というような意見が強まっています。ところがそんなことはない。福島では何も片付いてはいないのです。しかし当局やメディアは片付いたかのように言っている。最初からそうです。彼らは最初から事実を隠し、大したことはなかったかのように装ってきたのです。ある意味でそれは成功しています。多くの人たちがそれを信じている。信じたいからです。そしたら、今後に反原発のデモは下火になっていくことは避けられない、というふうに見えます。

しかし違います。福島原発事故は片付いていない、今後もすぐには片付かない、むしろ今後に被曝者の病状がはっきりと出てきます。また福島の住民は永遠に郷里を離れることになります。つまり、我々が忘れようとしても、また実際に忘れても、原発の方は執拗に残る。それはいつまでも続きます。原発が恐ろしいのはこのことです。それでも人々はおとなしく政府や企業のいうことを聞いているでしょうか?そうであれば、日本人は物理的に終わりです。

だから私はこう信じています。第一に、「反原発運動は長く続く」ということです。第二に、「それは原発にとどまらず日本の社会を根本的に変える力となるだろう」ということです(大きな歓声)。
皆さん!粘り強く闘いましょう!以上です(大きな歓声・拍手)



(動画文字起こし、関連リンク)

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