2009.07.17

かげもん 『京都というまちを考える試み。』第15回 
詩人の京都

 以前、このコラムで取り上げた気鋭の冊子『PACE』の第五号が発行された。特集は「われら詩人」だ。詩というと、ちょっと引いて考える人も多いかも知れないけど、この冊子は、いわば何かハードルが高そうな詩のイメージを超えて、詩をすべての人に開いていく試みである。この文の最後に勝手な感想を書いてみたい。

 詩と関係して、今年の3月に太田修『朝鮮近現代史を歩く 京都からソウルへ』(思文閣出版)という本が出版された。そのすべてを紹介することはできないが、鄭芝溶という朝鮮を代表する一人の詩人について書かれた章がとても興味深い。京都では尹東柱がとても有名だ。留学していた同志社大学構内や、下宿していた京都造形芸術大学の近くに詩碑がある。その同志社の尹東柱の詩碑の隣にも朝鮮の詩人の詩碑があるのをご存知だろうか?その詩碑の人物こそが鄭芝溶である。岩波文庫の『朝鮮詩集』や金時鐘『再訳朝鮮詩集』(岩波書店)など、日本語でも多くの詩が訳されている。鄭芝溶は尹東柱より18年早く1926年に同志社大学に入学し、京都で生活を送る。「鴨川」という詩もある。この本の中で印象強かった箇所は、鄭芝溶が女友達と八瀬でデートしていたとき、八瀬のケーブルカー建設工事をしていた朝鮮人労働者たちが、鄭芝溶たちを日本人だと思って悪ふざけを朝鮮語で言い放ったというエピソードだ。朝鮮人留学生が、朝鮮語で野次られ、「知らないふりをして彼らの横を平然と通り過ぎた」鄭芝溶の葛藤は、かれの詩を読むときに明確にうかびあがってくる経験であろう。京都をつくったのは日本人だけではないし、伝統産業の現場にも多くの朝鮮人が働いていた。あるいは土木工事をしていた朝鮮人と、留学生としてかれらを目撃した鄭芝溶の葛藤も、私たちが京都で考えるときの大事な要素だろう。


 最後、『PACE』の詩たちに対して(読みたくない人は目をつぶってください)詩論などについては省略。

 冒頭の「猫」「こんにちは」は、息継ぎ不可能な表現である。脳のややこしいところを介さずに生まれでたようなこの二つの詩は、まぎれもなく直感的な共感を与え、私たちを冊子の世界へと引き込ませる。次の「ねぇ、サキヨさん」と「食事介助」では詩が政治表現の先を進んでいることを克明に知らしてくれる。そして「抑制」と「深夜のメール」では、詩が、余暇と思索の時間である、誰も介入できない夜のものであることをしめす。「降らない雪の話」は、無限の空間に立ち向かっていく行為である眠りに入る瞬間を捉えた。「社稷洞(1)」と「みかん」は表現不可能という逃げの手段を使うが、コメントを差し控えたい。「なまえ」と「「よく喋る男たち」の詩」は、言葉になる以前と以降の葛藤が、個人的なものには決して留まれない詩だ。「パッソル」は青春の条件は複数の人が必要であることを、「青い鳥」と「初恋」は、その青春は決して過去のものではありえないことを教えてくれた。「猟奇歌ごつこ」と「大阪大空襲の夜」は、過去形を持つ日本語の残酷さを示す。最終ページの「詩」は、決して読む読まれることが詩のすべてであるわけではないことを示した。

* PACE(パーチェ) http://blog.livedoor.jp/pace_r/

かげもん 2009年7月記 (PeaceMedia2009年8-9月号掲載)
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