2009.03.13

かげもん 『京都というまちを考える試み。』第13回 学費無償化の喜びと未来

 1月25日に行われた集会とデモのテーマは、学費タダと日本学生支援機構(旧育英会)による奨学金返済を3ヶ月以上滞納した人の個人情報を金融機関に通知するというブラックリスト化反対の2つだった。「奨学金は借金だから、借りたカネを返さないならブラックリスト化は当然だ」という論理に反対する学生・院生・滞納者・フリーターたちが集まった。高校と大学の学費問題は、社会的問題なのに、払えない学生の個人的問題としてすりかえられている。

 高齢化時代、国家財政における社会保障費の割合が高まり、私たちは国家の金に世話にならないように「自立」がうながされている。教育費も同様で、自己負担することが偉いのだ。自分に必要な金は自分で稼ぐことが美徳とされる。しかし、日本国籍所持という条件が課されるが、選挙はタダである。高額納税者も消費税しか払ってない学生も、同じ一票を持つ。それが当然だ。大学も同様にタダにするべきである。

 学費を自分で払う学生、奨学金をもらう学生、親の金で払う学生がいる。少なくとも私立大なら年間100万する学費を払う時点で、学生は自立できない。自分で払う学生は労働に追われ勉強できない。奨学金をもらう学生は将来奨学金を返せるような職につかなければならない。親の金で払う学生は親の顔をうかがわなければならない。現在の大学は学生が自立できること場所ではない。学問の自由とは、権威に逆らう学問の多くがそうであるように、金にならない学問をやれるという意味でもある。そんな自由は現在の大学にはない。現在の大学はとても閉鎖的だ。しかし京都の多くの大学は自由をかかげ、学生に希望をふりまき、気持ち悪いにこやかさをふりまく。

 たとえば「自由の校風」京都大学では、非常勤職員の雇用を5年までしか延長しないと一方的に決定し、ユニオンエクスタシーがストライキに入った。「自由自治」京都精華大学でも一昨年学生が学費値上げに反対しハンストを行った。「平和と民主主義」立命館大学でも、非常勤講師がハンストを行った。

 大学は自由を掲げる。しかし自由はたいてい守られていない(むしろ自由は獲得するものだ)。大学は財政的に「自立」をするために学費を値上げし、職員や教員を安い非常勤へとシフトさせている。大学は財政的な自立のためにカンフル剤を打ちまくるが、「てんぱらくていいんだよ」と、ストライキが起こる。自由と生存の獲得のためにストライキが起こる。なぜなら、大学は市場経済では計り知れないものが生産されているから。ストライキは大学の理念を実現させる次元に留まらず、さらなる学費無償の未来までも表現しているのだ。

 国会議員の多くは大卒である。麻生太郎や安倍晋三のような人間も大卒であり、私たちの未来を決定する人たちのほとんどは大卒である。その大学をタダにする。すべての人が大学に行けるようになる。相対的な女子の進学率の少なさも解消していける。京都市民や観光客や旅人が、散歩途中に講義をふらっと聞いていくような、「開かれているだけでなく入りやすい、条件なき大学」のためには、最低限学費無償は必須である。学費タダとブラックリスト化反対を求めるデモ、あるいは各大学で起こっているストライキは、大学当局のいう「自治」と「自由」の欺瞞性を暴くだけではなく、もっと高い次元の「自治」と「自由」を先取りしている。

かげもん 2009年3月記 (PeaceMedia2009年3-4月号掲載)
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