2008.05.21

かげもん 『京都というまちを考える試み。』第11回 とにかく鴨川条例廃止を!

 晴れた日曜日、出町柳の三角州でバーベキューをした。気持ちよい晴れた日には、大学のサークルやら、様々な人がバーベキューをしていた場所だが、今年は人が少ない、というかほとんどいない。日曜日の昼下がり、こんなに三角州に人がいないことなんてかつてあっただろうか。
バーベキューをはじめてしばらくすると、監視員の方が「やめてください」と言いにきた。でも生肉を持って帰っても仕方ないので焼き続けた(地域住民の方が注意する監視員を見て「バーベキューくらいやったらええ!」と叫んで通り過ぎていったりもした)。

 しばらくすると、なぜだかパトカーが登場した。30センチ×30センチくらいのコンロ一つでパトカーが来ることは、鴨川条例の異常さを示しているだろう。警察官の方とも会話をしたら、「条例でバーベキューはダメだが、鍋はOK」と言い、呆れてすぐ帰っていった。その時にはすでに肉を焼き終えていたから、残った炭で暖をとりながら(食物を焼かずに炭を起こしているだけならOKらしい)、鍋をした。結論から言うと、出町柳でバーベキューをすることは可能である。鍋ならもっと可能である。監視員の方が何度か来るだけで、罰金も取られないから、ぜひ実践してみてほしい。夏だし。

 出町柳周辺はタダでバーベキューできたから重要なのである。鴨川条例適用範囲外まで行くなら車を持っていないとバーベキューできない(お金がかかるし、酒が飲めない)。つまり、タダで鴨川を自由に使用することを制限する条例なのである。タダ文化であるバーベキューを禁止することは、橋下大阪府政における文化予算の壊滅的な破壊行為と意味は同じである。
たとえば、鴨川条例の指定範囲は北区から南区くらいまでで、伏見は鴨川条例適用範囲外である。この事実だけを見るだけでも、観光資本としての鴨川を維持したいから鴨川条例があるのであり、観光地としての京都で観光客が「見る」ところだけをクレンジングするという動きが、鴨川条例なのである。鴨川条例は「使用する」鴨川を消してしまい、「消費する」鴨川を上昇させる。

 おどろくべきことに、鴨川条例の検討委員会の答申の中には、
「バーベキュー、自転車、野宿者」を鴨川からなくしていくという内容のことが書かれている。そのような条例は、いったい誰のための条例なのか。
私たちは、すでに鴨川を「使用する」気分さえ奪われ、圧倒的に受動的な主体として鴨川を「消費させられている」のかも知れない。私たちが、予定調和的に鴨川を消費させられるということは、つまり鴨川の風景になるということである。しかし文化とは、そもそも消費からは生まれない。能や狂言や漫才は、そもそも消費される対象ではなかったように、学問の自由や文化の自由とは、お金をかけずに(つまりお金に縛られずに)物事を考えることからはじまる。考えるためには言葉が必要だし、本を読んだり、誰かと語り合うことも必要である。誰かと語り合うためには、バーベキューのように、時間をかけることが必要なのである。その意味で鴨川を「使用」することは、文化の発生源なのである。鴨川条例は、橋下府政と同じくらい文化に対する攻撃である。

 焼肉屋や焼き鳥屋の煙は、仕方ないし、迷惑になっていれば話し合えばよい。それと同じ意味で、鴨川のバーベキューの煙は仕方ない。鴨川条例に対し、多くの人が怒っている。検索サイトで「鴨川条例」とブログ検索すると、さまざまな人の悲痛な叫びが聞こえてくる。家族で毎年バーベキューをしていたのに、今年はできなくて残念だ…等等。バーベキューする学生すべてがマナーとルールを破壊する人間であるかのような迷信がつきまとっているが、そのような迷信は捨てなければならない。一つの行為を禁止して、一つの行為を浄化した上で成り立った空間が、鴨川条例下における鴨川なのである。タバコの煙がしんどい人の前では喫煙しない、というように、ルールなるものは、その場にいる人で決めるものだし、地方自治とは、その場にいる人たちで物事を決定する機関だから重要なのだ。
私たちは、この条例によって、バーベキューしたいなぁという気持ちを持つことさえも、抑圧されているのである。本当に本当に、残念な条例である。

 また現在働いている監視員の方も、コンロ一つくらいの集団は無視したらいい。たとえば、私の友人は、コンビニ店員をしていたとき、商品を万引きされて警察を呼んだら「万引きくらいで呼ぶな」と言われたらしい。
この警察官のような柔軟さをもたないと、不特定多数が生活する京都を渡り歩くことはできない。本当にどうしようもないマナー違反などに対しては、鴨川条例がなくとも、対策は可能である。本当に左京区一帯を巻き込むような煙とか、川の両岸へ響く花火とかは、別段鴨川条例がなくても取り締まり可能だし、されてきた。あたかも鴨川条例は、そのようなマナー違反者に対しての条例なのかように語られるが、それは見せかけでしかない。
鴨川条例の本質は、小さなバーベキューすらも禁止し、何かが起こる空間としての鴨川を解体して、ただ予定調和的な「消費」の空間に鴨川を作り変える条例なのである。

 だから鴨川条例は廃止しなくてはならない。
鴨川にいれば、お金を使わずにいろいろできる、
という空間がまずないと、文化も生活も豊かにならないのだから。

(C)かげもん 2008年5月記 (PeaceMedia2008年6-7月号掲載)
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バーベQ斗争(鴨川コモンズのとき)

(編集部よりお知らせ) 上記記事へのリンクを含んだコラムが、
http://conflictive.info/ に掲載されています。
「鴨川コモンズ、バーベキュー、反権力」(篠原雅武さん)

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