2006.12.15

かげもん 『京都というまちを考える試み。』第5回 
百万遍における、コタツの記憶

 寒くなった。冬が訪れようとしている。
寒い、それはすなわちコタツの季節である。私もさっそく、コタツを出した 。

 コタツと言えば、ふと石垣カフェを思い出す。そういえば、もう2年も前のことである。百万遍にヤグラが組まれ、カフェができていた。コタツとタタミのインパクトが強く、ものすごくショックを覚えた。それから私は、だいぶん石垣カフェに通った。なんといってもコーヒーや食料がふんだんにあった。多少のカンパはしていたが、ほぼタダで酒やコーヒーやご飯を毎日のようにいただいた。
鮮烈な思い出である。私は、コタツを意識すると、石垣カフェの濃厚な記憶に襲われてしまう。

 石垣カフェは百万遍にあった。百万遍は学生が多い。そして石垣カフェには酔っ払いや旅人や修学旅行生などが訪れていた。百万遍の交差点にさらけ出された空間が石垣カフェで、そこにはコタツがあり、雑多な人びとが流れ交わる空間の中に、雑多な人びとが留まるコタツがあった。毎日知らない人と出会った。何回か出会ううちに、おもしろい話ができるようになった。けっこう会話をした人でも、その人が一体どういう人なのかを思い出せない。
そんな場だった。

 そこには本があった。私もたくさん読んだ。本があり、コタツがあり、時々昼寝もした。そこに留まるのであるが、そこに住むというわけではなかった。繰り返しになるが、交わる場であり、留まる場であり、同時に留まらない場として石垣カフェは存在した。

 そのような、背反を抱えた存在を支えたのが、学生であるというのがおもしろい。もちろん石垣カフェは学生以外の本当に様々な人がいた。だが、学生は京都に留まり、京都から流れている。京都の中でも引越す。
その、柔軟な居住スタイルを、百万遍という交差点にさらけ出した形態が
石垣カフェだった。

 大学と石垣と百万遍という、そもそも様々な人が交差していたポイントに、コタツが置かれた。それによって、豊穣な交流空間が生まれた。現在石垣カフェは閉店したが、コタツによる交流の可能性を考えさせる。私はコタツの可能性を追求したいと思う。

 コタツは、その正誤に関わらず、発展の原動力である。

(C)かげもん 2006年11月記 (PeaceMedia2007年1月号掲載)
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