2007.02.02

『へいわ屋漫筆』第7回 ダヴィドはどこへ行った

 65年前、ドイツはラドム州にいた、ダヴィドという子の日記を読んだ。
彼は14歳。「シオンの星印」の腕章を巻きSS(ナチス親衛隊)の徴収(という名の略奪)に苦しむ日々。農村のユダヤ人たちが、ナチスによる迫害の元、いかに過ごしたかがよみとれる。(都会っ子のアンネ・フランクの日記と好一対)インフレ、徴用、強制労働…。彼らを襲う苦境は引きも切らないが、人にとって何より耐え難いものは、やはり大切な人との別離のようだ。ダヴィドの父は辛くも帰ってきたが。

 この日記は1942年6月1日分の途中で突然途切れている。ダヴィドはここで居眠りをはじめたのだろうか。この日記帳がどこかへ紛れ込んでしまったのだろうか。それともダヴィドがどこかへ行ってしまったのか。
どこへ?

 店主は筑摩書房ノンフィクション全集28巻(昭和34年刊)で『ダヴィドの日記』を読んだが、この作品の前には 『アウシュビッツの5本の煙突』 『白バラは散らず』 が収録されていた。ユダヤ人強制収容所内の実際や、息詰まる戒厳令下でそれでも興った抵抗運動の記録がじっくり読める。

 戦時独裁下の民の不幸とはどうだったか、が、これ1冊でも多角的に読者の脳裏に刻まれる構成になっていて秀逸だ。

 ノンフィクション全集が刊行されたのが「全集モノ」の出版ラッシュだった時代だからだろうか。斬新な構成や読者サービスは画期的である。現在の出版にも、こんな「人間味ある努力の痕跡」が見てみたいと願う。

 この全集は古今東西の記録作品を集めた大部で、今ではよくバラ売りで古本屋に出ている。品余りなのか、たいてい1冊数百円程度で売られている。教養の値段として、あまりに安価ではないか。PM読者にもお勧めしたい。

 さて、28巻の最後には、日本の記録である『戦没学生の手記』が収められている。編者山下肇氏の言葉を引用して結びとしたい。

「読者たちが(中略)これ(注・戦没学生による手記)を読むとき、多少とも過去の戦争時代の日本に憧憬的な幻想を抱いたり、戦没学生の一人ひとりを軍国主義的な意味での英雄視したりすることによって、仮にも再び戦争への道をひらく動きの方向へ揺れ迷っていってはならないということである。」「学徒たちにとって、これ以上の冒涜はないのである。」

「当時の狂った環境の中でもなお冷静に人間的に思考しようとする知性の目覚め続けていることを、賢明に鋭く読みとってほしい。」

「戦争犯罪人たちがまたしても今日再び戦争挑発にのりだして、ファシズムの倫理を美化し、真実をゆがめ、過去を忘れさせようと躍起になっているのである。我々は過去を忘れず、それを未来の国民や人類の幸福のために強く生かし、真実を正しく守り伝えなければならない責任を持っている。」

 これがなんと昭和30年代に書かれた言葉なのだ!昨今の世情の中に生きる私たちへの、数十年をこえた檄文に聞こえはしまいか!

(C)へいわ屋 2007年2月記 (PeaceMedia2007年3-4月号掲載)
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