2011.10.02

[BM] 「原発ジプシー」と日米安保 
京都行動 Kyoto Action

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「原発ジプシー」と日米安保 京都行動 Kyoto Action

「・・・海外のウラン採掘の現場から、核廃棄物の「処理」に至るまで、原発を稼動させるためにはそのプロセスのどこをとっても、「誰か」が被曝して死ぬことが前提とされている。「死んでもいいとされる人間」の存在がなくては原発はまわらない。それは明確に、その「誰か」に対する差別であり、殺人であり、原発の問題というのは、誰かの死は当然のことだとする論理を認めるか否か、というところにその本質があるんじゃないだろうか。死んでもいい人間、殺されてもいい人間なんて、どこにもいない。・・・」

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