Home > 連載陣
2009.03.13

かげもん 『京都というまちを考える試み。』第13回 
学費無償化の喜びと未来

 1月25日に行われた集会とデモのテーマは、学費タダと日本学生支援機構(旧育英会)による奨学金返済を3ヶ月以上滞納した人の個人情報を金融機関に通知するというブラックリスト化反対の2つだった。「奨学金は借金だから、借りたカネを返さないならブラックリスト化は当然だ」という論理に反対する学生・院生・滞納者・フリーターたちが集まった。 (さらに…)

2009.03.08

『詩の生まれる場所』 竹村正人 第7回 学校

朝鮮人にとって学校はまさに「解放」そのものであった

―――鄭栄桓

 韓流ブームに肖って昨年末から『朝鮮新報』をとっている。2月23日の紙面には、川崎朝鮮初級学校を訪れた日本の学生らの感想文が載っていた。立命館の院生が記した「否定しようもない美しさ」という言葉が、この記事の大見出しになっている。この言葉、例えば映画『ウリハッキョ』を観た人なら共感できるかもしれない。古びた校舎から溢れ出るアウラの源とは一体なにか。 (さらに…)

2009.03.07

金子監督のお父さんのこと、そしてストのこと 
Union Extasy リレーエッセイ 第5回

 私の好きな映画に、金子修介監督「宇能鴻一郎の濡れて打つ」というのがあるのだが(これは傑作!)、この金子監督の父親というのが変わった人で、いつもスーツの上に「アメリカはベトナムから手を引け」と大書したゼッケンをつけて、毎日、電車通勤していたそうだ。私がなんらかの政治的(?)アクションを起こそうとするとき、なぜかいつもこの人のことが思い浮かぶ。

 それはたぶん、「ひとりであること」を決しておそれないということ、たとえ人から白い眼で見られようとも自分なりのスジを通すことであって、それは大衆の支持を得るとか得られないとか、政治的実効性を持つとか持たないとかいうこととは関係がない。 (さらに…)

2009.02.02

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 
第5回 送辞

 高校生だったころのぼくがずっと思い悩んでいたのは、自由とは何かということだった。学校はどうして生徒の自由を規制し、統制と管理を強いてくるのか、その答えを探しつづけた。

 父親の書斎に置いてあったマルクスの『資本論』やフランクフルト学派の哲学書には、資本主義社会が生み出した「学校」という場所への批判が書いてあるかもしれない。そう思いながら、本棚に手をかけ、理解できない言葉を必死で解読した。彼らの本から「管理社会」というフレーズを見つけ出したのは、そのときだった。 (さらに…)

「ソウルのおばちゃん」 
Union Extasy リレーエッセイ 第4回

 ある日、わたしはソウルにいた。謎の東洋人として。急な坂の道沿いにあるその店はまだ あった。このあいだは、坂の上のほうにあったが、もうかったかららしく、より人の来易い場所へと移動してきたらしい。おばちゃんはわたしのことを覚えていた。「いらっしゃい」と、陽気に話しかけてくるおばちゃんは、心なしか、以前に会ったときよりもきれいになっている。 (さらに…)

« Previous | Next »

3 / 1312345...10...最後 »