2009.05.16
私とは何か。
寺山修司が死ぬ間際に谷川俊太郎に向けて問いかけたのは、私という存在の謎についてだった。二人の詩人は「私は~」「私の~」という言葉だけの詩を、互いに送りあう。寺山は「僕は日本人」「僕は男」と属性を連ねたあと「どれが一番正しいのか決めかねているのが僕自身というわけか」と言い、谷川は「これは私のメガネ」「これは私のお金」と所有物を連ねたあと「私は誰でしょう、これは私の詩ですか」と応えた。 (続きを読む…)
2009.04.29
私が9ヶ月ぶりに京都に住み始めたのは、今年の2月であるけど、とても驚いたことがある。それは自転車置き場の有料化である。御池通りの広い歩道に自転車専用の柵ができていて、そこに金を払って自転車とめるのだ。あのシステム自体にけっこう金がかかっていそうで減価償却できているか心配になる。 (続きを読む…)
2009.03.14
「頬を刺す、朝の山手通り。タバコの空き箱を捨てる…」という詞で始まる、椎名林檎さんの歌(*1)がありました。語法が何かヘンと思いつつも、鮮やかに景色が伝わるので印象に残っている歌です。こんな「頬を刺す」ような冷気は、いつの間にか消え、もう春ですね。昨夜物干し台に上ると夜気がやわらかく感じられました。かすかな沈丁花の香が、その柔軟剤の役を果たしているのでした。 (続きを読む…)
二年前から通ってきた生野区の小さな高校で卒業式があった。式が終わった後、受け持った卒業生と一緒に近くの喫茶店でおしゃべりをしていると、この二年間のいろんなことが思い出された。
はじめて授業をした日、「新しい先生」を楽しみに集まった生徒の前で、ぼくは唐突に自分の過去を語り出した。学校が嫌いだったぼくがいま教壇に立っている矛盾を、ただ自分のなかに仕舞いこむのでなく、彼らと共有しよう。ぼくたちが集う教室を、教師と生徒が一緒になって言葉を作り出す場所に変えてみよう。出会ったばかりの彼らに、学校を拒否していたころの自分が何を感じ、考え、生きていたのか、表現に飢え、葛藤し、疲労した闘いの日々を、ぶつけた。それが授業のはじまりだった。 (続きを読む…)