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	<title>PeaceMedia　ピースメディア &#187; 連載：竹村正人 - </title>
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	<description>京都の市民運動情報を伝えるフリ―ペーパー／ウェブマガジン</description>
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		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第9回　就活</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Jul 2009 17:17:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>

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		<description><![CDATA[〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。
―――石原吉郎

　経済不況、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。<br />
―――石原吉郎<span id="more-2113"></span></p>
</blockquote>
<p>　経済不況、歓迎だ。だが貧困のもたらす受動的な紐帯が自由を保証するわけではない。被害者意識から抜け出すためには貧乏人として生きること、いわば紐を結び直す能動的な契機が必要だ。</p>
<p>　貧乏人とは、あくせく働いて消費することの虚しさに気づいた者であり、収入の高低は関係ない。われらはともすれば他人を出し抜く競争に励んでしまうが、反貧困も外国人排除になっては意味がない。被害と加害は流動的だ。</p>
<p>　逆に金持ちも貧乏人になりうるし、敵の土俵もお祭り広場にできる。それには六本木ヒルズを鍋会場にするようなまぬけさが必要だ。「高学歴ワーキングプア」だって連呼すれば「高学歴ワーキングパワ」になる。君も加害者になる就活なんてさっさとやめて履歴書を便所にしてしまおう。</p>
<blockquote><p>氏名<br />
うんこ<br />
生年月日<br />
うんこ<br />
現住所<br />
うんこ<br />
電話番号<br />
うんこ（うんこ）うんこ<br />
学歴<br />
うんこ<br />
職歴<br />
一貫してうんこ畑を歩んできた。<br />
免許<br />
うんこ<br />
資格<br />
うんこ<br />
得意な学科<br />
うんこ<br />
特技<br />
うんこ<br />
スポーツ<br />
うんこ<br />
趣味<br />
うんこ<br />
志望の動機<br />
うんこ<br />
希望条件等<br />
うんこ<br />
家族<br />
うんこ<br />
以上</p>
<p>　　　　　（安里健「私の履歴書」）</p>
</blockquote>
<p>*冒頭は『石原吉郎詩文集』（講談社文芸文庫、2005）より、<br />
文末は安里健『詩的唯物論神髄』（スペース伽耶、2002）より、それぞれ引用。</p>
<div class="pagebacknavi">
竹村正人　（PeaceMedia2009年8-9月号掲載）
</div>
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		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第8回　途上</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0905.html</link>
		<comments>http://peacemedia.jp/take/take0905.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 29 Apr 2009 21:10:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>
		<category><![CDATA[人間の尊厳、人権擁護・啓発]]></category>
		<category><![CDATA[証言集会・京都]]></category>

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		<description><![CDATA[＜無視＞＜否定＞＜嘲笑＞という、日本社会が今も取り続けている態度が、被害女性にとっては暴力そのものであるならば、その正反対の態度をもって彼女達に向き合うことが、最大限、私たちにできることなのではないのだろうか。
―――村 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>＜無視＞＜否定＞＜嘲笑＞という、日本社会が今も取り続けている態度が、被害女性にとっては暴力そのものであるならば、その正反対の態度をもって彼女達に向き合うことが、最大限、私たちにできることなのではないのだろうか。<br />
―――村上麻衣<span id="more-1995"></span></p>
</blockquote>
<p>　2004年12月4日、京都で日本軍性奴隷被害女性の証言集会が開かれた。当時、私は実行委員として関わり、京都大学の教室で李容洙さんの証言を聞いた。とても力強い人だ、とそのとき感じた。</p>
<p>　その後、私は証言集会から離れてしまって、うしろめたい気持ちが胸に留まっている。証言集会で教えられたのは、証言は語り手だけでなく、聞き手の勇気もなければ成立しないということだ。証言を聞くものは、加害者である自分、無視してきた自分に向き合うことになる。それでもなお、日常的な関わりをも大切に、取り組み続けている証言集会に私は畏敬の念を抱いている。</p>
<p>　李容洙さんのあの言葉、「私は、あなた方のことを本当に愛しています」という言葉が、まだ耳の奥で響いている。誰もが、自分に愛される資格などあるだろうかと考えただろう。私はその愛を受け止めきれず、逃げてしまったのだと思う。でも、「解決」への途上で悩みながらも歩みをやめない仲間たちがいる時、私の前にも道があることを知る。</p>
<p>　愛するということ、愛を受け止めるということ。その容易に分かれない影を見つめながら、私もまた、少しずつ、歩いていこうと思う。</p>
<blockquote><p>手が届きそうで<br />
まだ届かない<br />
知れば知るほど<br />
容易には分かれない影<br />
青い砂をサラサラと<br />
左手で受け止める<br />
あなたの中に<br />
まだ見ぬ胎児</p>
<p>指が届きそうで<br />
まだ触れもしない<br />
見つめれば見つめるほど<br />
遠くなってゆく　むらさきの海<br />
トパーズ・イエローの空が<br />
口を開け　落とした言葉<br />
砂浜に散らばり　<br />
足に突き刺さる</p>
<p>あの子を抱こう<br />
あの子を抱きかかえよう</p>
<p>　　　　　（藤井わらび「むらさきの海」）</p>
</blockquote>
<p>*冒頭は『阿媽的聲　Voices of Ah-Ma』（全国同時証言集会京都実行委員会、2007）より、文中の言葉は『李容洙さん証言録』（同上、2005）より、文末は藤井わらび『むらさきの海』（一〇〇〇番出版、2007）より、それぞれ引用。</p>
<p>証言集会・京都　<a href="http://shogenkyoto.blog70.fc2.com/" target="_blank">http://shogenkyoto.blog70.fc2.com/</a></p>
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竹村正人　（PeaceMedia2009年5-6月号掲載）
</div>
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	</item>
		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第7回　学校</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0903.html</link>
		<comments>http://peacemedia.jp/take/take0903.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2009 01:39:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>
		<category><![CDATA[学校]]></category>
		<category><![CDATA[韓国・朝鮮]]></category>

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		<description><![CDATA[朝鮮人にとって学校はまさに「解放」そのものであった
―――鄭栄桓

　韓流ブームに肖って昨年末から『朝鮮新報』をとっている。2月23日の紙面には、川崎朝鮮初級学校を訪れた日本の学生らの感想文が載っていた。立命館の院生が記 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>朝鮮人にとって学校はまさに「解放」そのものであった</p>
<p>―――鄭栄桓</p>
</blockquote>
<p>　韓流ブームに肖って昨年末から『朝鮮新報』をとっている。2月23日の紙面には、川崎朝鮮初級学校を訪れた日本の学生らの感想文が載っていた。立命館の院生が記した「否定しようもない美しさ」という言葉が、この記事の大見出しになっている。この言葉、例えば映画『ウリハッキョ』を観た人なら共感できるかもしれない。古びた校舎から溢れ出るアウラの源とは一体なにか。<span id="more-1847"></span></p>
<p>　鍵はチマ・チョゴリにありそうだ。2006年に出版された韓東賢『チマ・チョゴリ制服の民族誌』によれば、チマ・チョゴリ制服はもともと学校の制度ではなく、女性徒たちの自発的な着用によって始まったそうだ。朝鮮学校とはおそらく、この女性徒たちのような無数の構成的な力に支えられている。日本学校に通うことが切実な「選択」としてある時、朝鮮学校への通学路はあまりにも険しいはずだ。その道を歩むという主体的な一歩なしに成立しないのが「ウリハッキョ（私たちの学校）」という名詞の内実なのだろう。</p>
<p>　1948年4月、ふきすさぶ嵐の中、許南麒が読み上げた「これが　おれたちの学校だ」という詩は、形を変えて歌い継がれているという。最後の一行が日本語になっているのがミソである。</p>
<p><img src="http://new.peacemedia.jp/images/pm0903take.gif" alt="詩 「これが　おれたちの学校だ」" /></p>
<p>*　冒頭は鄭栄桓「『解放』後在日朝鮮人運動における活動家層の形成と展開」（一橋大学大学院社会学研究科修士論文、2005年）より引用、<br />
文末はネットを参考にしたが、間違いがあるかもしれない。</p>
<ul class="kiji">
<li>『朝鮮新報』　<a href="http://www.korea-np.co.jp/sinboj/" target="_blank">http://www.korea-np.co.jp/sinboj/</a></li>
<li><a href="http://video.yahoo.com/watch/3606598/9950540" target="_blank">歌が聴けるページ</a></li>
</ul>
<div class="pagebacknavi">
竹村正人　（PeaceMedia2009年3-4月号掲載）
</div>
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		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第6回　朝鮮</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0902.html</link>
		<comments>http://peacemedia.jp/take/take0902.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 01 Feb 2009 15:39:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>

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		<description><![CDATA[家族を養い、生き抜かんがために、職場や学校や家庭で私たちは「通称名」を使わざるを得ない悔しい毎日を送っている。しかしだからこそ逆説的に、私たちは朝鮮人であるという民族の尊厳と価値を是が非でも守りたいと願う。そのために闘う [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>家族を養い、生き抜かんがために、職場や学校や家庭で私たちは「通称名」を使わざるを得ない悔しい毎日を送っている。しかしだからこそ逆説的に、私たちは朝鮮人であるという民族の尊厳と価値を是が非でも守りたいと願う。そのために闘う。これは、在日同胞への呼びかけであり、私自身への自省である。</p>
<p>―――鄭祐宗<span id="more-1755"></span></p>
</blockquote>
<p>　日本語で「象徴」と訳されるシン‐ボルsym-boleは、もともとは二つに分けられたものという意味であり、その片割れを持ち寄った二人がそれを合わせることで互いを認め合うことができる、それは一種のパスワードのようなもので、同じ共同体に属している証拠でもあるという。</p>
<p>　外被物の強度に比例して爆薬はその力を増大させる、とは金時鐘の言葉だが（「日本語のおびえ」）、これは真に受けて恐るべき科学だ。朝鮮が日本にあって詩の源泉となる理由もこの言葉に関わる。それは朝鮮が、シン‐ボルそのものとして存在し続けているからである。これは自明のことではない。底辺に生きる人間の断片を繋げる努力がなければ、そのようにして生きるのだという不断の下降がなければ、それは詩になりえない。「象徴」という語がまず独占されてあるこの国で、日本語のリズムに身を沈めながら爆薬は静かに力を増していく。</p>
<blockquote><p>今日も挙げられた　朝鮮人<br />
やみ煙草つくりの　朝鮮人。<br />
昨日も押さえられた　朝鮮人<br />
ドブロク造りの　朝鮮人。<br />
今日も掘つてる　朝鮮人<br />
鉄屑ほりの　朝鮮人。<br />
今も潰かつている　朝鮮人<br />
どぶ河あさりの　朝鮮人。<br />
昨日も今日も　朝鮮人<br />
紙屑ひらいの　朝鮮人。<br />
押して通して　朝鮮人<br />
車が　いたんだ　朝鮮人。<br />
祖国つぶす　戦争に<br />
屑鉄ひらつて　お手だすけ<br />
心に泣きなき　お手だすけ。<br />
紙屑ひらつては　さげすまれ<br />
お米を運んでは　きらわれる。<br />
自由を叫んでも　御法度だし<br />
平和が好きでも　送還られた。<br />
国語を知らない　朝鮮の子<br />
言葉をもつぱら　日本語で<br />
アボジを呼ぶにも「お父さん」<br />
祖国も知らぬ　歴史も知らぬ<br />
日本天皇は　よく知つてござる。</p>
<p>　　　　　（金時鐘「在日朝鮮人」より）</p>
</blockquote>
<p>* 冒頭は『月刊イオ』2008年10月号より、文末は金時鐘『原野の詩』（立風書房、1991）より前半部を、それぞれ引用。<br />
『月刊イオ』 <a href="http://www.io-web.net/" target="_blank">http://www.io-web.net/</a></p>
<div class="pagebacknavi">
竹村正人　（PeaceMedia2009年2-3月号掲載）
</div>
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	</item>
		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第5回　便所</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0812.html</link>
		<comments>http://peacemedia.jp/take/take0812.html#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 13 Dec 2008 17:06:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>

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		<description><![CDATA[タバコは登録制でないと自由に購入できなくなります。未成年、不埒な子供が買えないようにするため、だそうです。「女・子供」にはますます手ひどい。けれでも、仕打ちが手ひどくなればなるほど、私たちは抜け目なくなってゆく。
――― [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>タバコは登録制でないと自由に購入できなくなります。未成年、不埒な子供が買えないようにするため、だそうです。「女・子供」にはますます手ひどい。けれでも、仕打ちが手ひどくなればなるほど、私たちは抜け目なくなってゆく。</p>
<p>―――松本真理<span id="more-1166"></span></p>
</blockquote>
<p>　タバコでもいいのだけれど煙が苦手なので便所に入ることにする。入って座ると煙の夢の跡がある。臭いけれども人間は臭いものである。人間が人間になれる場所、として便所はあるのかもしれない。</p>
<p>　ふたつのエピソードを思い出す。学校にいた時、便所でうんこがしづらかったこと。弱さをさらけ出すことへの執拗な攻撃が学校にはあった。かたや、お菓子を食べたりタバコを吸ったりするのも便所だった。教師が決して理解しなかった便所での飲食は、認められない欲望の別な成就の道だった。清潔さと汚さと、二極化する世界にあって、詩は抜け目ない者たちの便所のようであってほしい。</p>
<blockquote><p>タダでゆける<br />
ひとりになれる<br />
ノゾミが果たされる、</p>
<p>トナリの人間に<br />
負担をかけることはない<br />
トナリの人間から<br />
要求されることはない<br />
私の主張は閉めた一枚のドア。<br />
職場と<br />
家庭と<br />
どちらもが<br />
与えることと<br />
奪うことをする、<br />
そういうヤマとヤマの間にはさまった<br />
谷間のような<br />
オアシスのような<br />
広場のような<br />
最上のような<br />
最低のような<br />
場所。</p>
<p>つとめの帰り<br />
喫茶店で一杯のコーヒーを飲み終えると<br />
その足でごく自然にゆく<br />
とある新築駅の<br />
比較的清潔な手洗所<br />
持ち物のすべてを棚に上げ<br />
私はいのちのあたたかさをむき出しにする。</p>
<p>三十年働いて<br />
いつからかそこに安楽をみつけた。</p>
<p>　　　　　（石垣りん「公共」）</p>
</blockquote>
<p>* 冒頭は「イルコモンズのふた。」<br />
<a href="http://illcomm.exblog.jp/" target="_blank">http://illcomm.exblog.jp/</a> （2008年5月13日）より、<br />
文末は『石垣りん詩集』（ハルキ文庫）より、それぞれ引用。</p>
<div class="pagebacknavi">
竹村正人　（PeaceMedia2009年1月号掲載）
</div>
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	</item>
		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第4回　詩誌</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0811.html</link>
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		<pubDate>Fri, 14 Nov 2008 12:27:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>

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		<description><![CDATA[　「詩は分からない、難しい」とよく言われます。そして、詩は庶民の生活に浸透しているとはとても言い難い現実があります。
　しかし、本当にそうでしょうか。私たちは「詩」に対して、何かしらの固定観念のようなものを持っていないで [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>　「詩は分からない、難しい」とよく言われます。そして、詩は庶民の生活に浸透しているとはとても言い難い現実があります。<br />
　しかし、本当にそうでしょうか。私たちは「詩」に対して、何かしらの固定観念のようなものを持っていないでしょうか。</p>
<p>―――藤井わらび<span id="more-976"></span></p>
</blockquote>
<p>　ご存知ないかもしれないが、詩誌というものがある。紙面のほとんどを詩で構成する、詩の雑誌である。日本では詩それ自体がマイナーなので詩の雑誌が広く流通するわけもなく、よって詩誌があなたの目に届かないのことにも悲しい必然性がある。</p>
<p>　おかしなことだが、詩の世界にも有名・無名があって、有名な詩人たちが集う雑誌は本屋に置かれたりもする。『現代詩手帖』ならば聞いたことはあるだろうか。あるいは『詩と思想』や『詩学』（最近廃刊）、『詩人会議』などもあるが、有名であるとはいえ一部の人たちの間での話だ。これら詩誌は参加するのに高い金がかかるし、閉鎖的である。有名が無名を抑圧し、詩の固定観念を作り出すのが日本の詩の今である。</p>
<p>　もちろん小さな詩誌は他にもある。それらに出会うための機会として、例えば年一回開催される東京ポエケットや京都のポエムバザールというのがあって、ここでは30組くらいのブースにそれぞれの詩誌が売り出される。その中のひとつに、連載一回目にも触れた『紫陽』（しよう）という詩誌がある。『紫陽』の特徴は、これまで詩に触れたことのない人をも巻き込んで、創作し平和を訴えていくというコンセプトにある。多くの詩誌がもともと詩を書く人たちだけで作られており、また自身と社会との関係や詩と政治の関わりに無頓着である中で、これはキラリと光る極北の詩誌である。</p>
<p>　もちろん、詩は孤独なものであってよい。ひとり自分のためにノートに綴る日々があってよい。ただ詩誌に意味があるとすれば、それは大切なものを分かち合える仲間と共に創作できる歓びであり、出会いであるだろう。</p>
<p>　『現代思想』という、詩ではなく思想の雑誌が去年、12月に「戦後民衆精神史」という特集を組んだ。50年代の東京にあって工場労働者たちが共にしたサークル詩運動を扱っていて面白い。運動と詩が共にあるのを感じる。もちろん、詩を書き続けることには困難もある。壁にぶつかることもある。しかしその壁は、創作し始めたものへのご褒美なのだ。</p>
<blockquote><p>えらそうなことを言う前に<br />
まずかきたまえ<br />
百万べん基本的に正しい方針を<br />
しゃべりまくる前に<br />
一つのことでよい<br />
まず実行したまえ<br />
方針は実行するためにたてられ<br />
詩は書かれてはじめて詩になる</p>
<p>平和擁護を斗つている<br />
同志、<br />
詩をかきたまえ！</p>
<p>　　　　　（高橋元弘「まづかきたまえ」より）</p>
</blockquote>
<p>※冒頭は『紫陽』創刊号から、文末は『現代思想』（2007年12月臨時増刊号）から一部略して、それぞれ引用。</p>
<div class="pagebacknavi">
竹村正人　（PeaceMedia2008年11‐12月号掲載）
</div>
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	</item>
		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第3回　読書</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0810.html</link>
		<comments>http://peacemedia.jp/take/take0810.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 12 Oct 2008 14:07:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>

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		<description><![CDATA[私は同じ年齢の誰と比べても、人生について多くを知っているとは思いませんが、話相手としては友人や恋人よりも書物のほうが頼りになるように思われます。小説や詩は独り言ではなく、作者と読者の会話であり、それは他のすべての人たちを [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>私は同じ年齢の誰と比べても、人生について多くを知っているとは思いませんが、話相手としては友人や恋人よりも書物のほうが頼りになるように思われます。小説や詩は独り言ではなく、<span id="more-497"></span>作者と読者の会話であり、それは他のすべての人たちを締め出す極めて私的な会話、言うなれば「相互厭人的な」会話なのです。</p>
<p>―――ヨシフ・ブロツキイ</p>
</blockquote>
<p>　追いつめられ、ひとりぼっちになった者たちが逃げ込む場所として、読書は存在してきた。子どもたちにとって、読書という部屋こそ、校舎や家庭の中で安心しておしゃべりのできる唯一の場所だった。ぼく自身もまた、小説や詩と出会ったのは、深く傷ついて過ごした暗い季節の中である。</p>
<p>　中井久夫という、精神科医だった人に「戦時下一小学生の読書記録」という小文がある。それによると戦争中、中学校は生徒に「小説を読むこと」を禁じていた。本との会話が、愛国教育の邪魔だったのだ。でもだからこそ「戦争の時、人は本に走る。戦いの合間でも、防空壕の中でも、いつ動くとも知れない列車の中でも、本は読める」と中井さん。きっと読書によってぼくらが救われるのは、そこで異なる世界を獲得できるからだろう。</p>
<p>　現代の中学生は自由に小説を読むことができる。だが図書室は意識から遠い。テレビからは求めなくとも娯楽がやってくるし、携帯やパソコンがあれば寂しくはない、そうだろうか。詩を書くことが創作であるように、読書もまた創作である。会話によって文字の余白に色を塗ることができる。しかしそれは本という媒体なしに可能だろうか。ためしに色えんぴつでなぞってみよう。ディスプレイは肉筆を受けつけない。</p>
<p>　ぼくにとって本を読むことは、創作する欲望の増大でもあるが、解消でもある。詩は、書かれなくてもよいのだ。読書の生む感動が、詩であると思う。だとすれば人が詩を書き始めるのはなぜだろうか。そこにはまたひとつ、大切な場所が生まれているはずだ。</p>
<blockquote><p>
私は価値のない人間である<br />
十二才でそう考えた<br />
私を必要としてくれる今も<br />
そう思ったりする<br />
平凡で虚しくて<br />
私の人生は<br />
どうして存在するのか？<br />
私は、だから<br />
言い訳のように<br />
文字を綴っていくのだ<br />
　　　　　　　　　　1997・5・31</p>
<p>　　　　　（藤井わらび「小さな叫び」）</p>
</blockquote>
<p>※冒頭はヨシフ・ブロツキイ『私人』（群像社、1996、800円）から、<br />
中井久夫の小文は『読書のすすめ』（岩波書店、第4集、書店で注文すれば無料でもらえる）から、文末は藤井わらび『奇跡ではなくて～躁鬱病とのたたかい～』（私家版、2002）から、それぞれ引用。</p>
<ul class="kiji">
<li>『私人』　（⇒<a href="http://www.gunzosha.com/books/ISBN4-905821-75-4.html" target="_blank">書誌情報</a>）</li>
<li>藤井わらびの詩的生活　<a href="http://warabipoem.exblog.jp/" target="_blank">http://warabipoem.exblog.jp/</a></li>
</ul>
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竹村正人　（PeaceMedia2008年10‐11月号掲載）
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		<item>
		<title>『詩の生まれる場所』　竹村正人　第2回　デモ</title>
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		<pubDate>Tue, 26 Aug 2008 18:20:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>
		<category><![CDATA[デモ・ピースウォーク]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[反戦生活]]></category>
		<category><![CDATA[路上]]></category>

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		<description><![CDATA[デモをやる意味ってあるんですか？と良く聞かれる。まっとうな質問だ。それは世の中のしくみがかわるからではないだろう。一回のデモや署名ではこの世の中はさしあたり変わらない。
それでも、僕がデモに参加する意義があると思うのは、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>デモをやる意味ってあるんですか？と良く聞かれる。まっとうな質問だ。それは世の中のしくみがかわるからではないだろう。一回のデモや署名ではこの世の中はさしあたり変わらない。</p>
<p>それでも、僕がデモに参加する意義があると思うのは、<span id="more-156"></span>意思表示・示威行動をするという行為そのものを歓迎するからだ。</p>
<p>―――成瀬</p>
</blockquote>
<p>　函館の海岸にたくさんのウミネコがいた。その日はとても風が強く、海も荒れていた。だけどウミネコたちは怖がりもせず、強風を利用してふわふわと空に浮く。飛ぶというより、ただふわふわと、浮く。風とつきあうのが上手だなあと感心した。</p>
<p>　京都にいると、怖くなるほどの強風に出会うことはあまりない。台風の日くらいだろうか。だけど、なかなか風当たりは強い。様々な視線が砂に代わってビシバシと頬を打つ。もしかしたらデモは、そんな強風を利用して、ふわふわと浮いてみる場所かもしれない、とふいに思ってみた。</p>
<p>　京都には、そんな素敵な場所をこしらえてくれる人たちがたくさんいる。そのうちの一つに、反戦と生活のための表現解放行動がある。もとは反戦反政府行動という名だったが、新しく生れた名前は、デモが生活とつながっていること、自分の存在を表現する解放の場であること、を教えてくれる。</p>
<p>　デモに参加するとたくさんの面白い出会いがあるが、何よりも、新しい自分に出会うことができる。自分はこんな欲望を内に秘めていたのかと驚くことがある。去る7月20日には、日本自立生活センター（JCIL）が呼びかけ、すべての当事者たちが主催する「大・当事者デモ」があった。ぼくは普段あまり着ることのないワンピースを着て参加したのだが、いつもより多くの風が身体を通り抜けて心地よかった。秋には、スカートデモをやろうと思う。</p>
<p>　ウミネコだって最初から上手に浮かべたわけじゃない。少しずつ、自分も仲間も、そして世界も、変わってゆく。だからぼくは、怖いくらいの強風が吹いていても、ふわふわと浮ぶ新しい自分に、わくわくするのだ。</p>
<blockquote><p>浮かべ<br />
青い空に</p>
<p>ふりきって<br />
浮かべ</p>
<p>大丈夫<br />
ぼくがいる</p>
<p>　　　　　（竹村正人「ふわふわの雲」）</p>
</blockquote>
<p>*冒頭は「反戦生活」のブログから、文末は竹村のノートから、それぞれ引用。<br />
反戦生活　<a href="http://d.hatena.ne.jp/posada/" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/posada/</a><br />
日本自立生活センター　<a href="http://www.jcil.jp/" target="_blank">http://www.jcil.jp/</a></p>
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竹村正人　（PeaceMedia2008年9‐10月号掲載）
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		<title>『詩という場所』　竹村正人　第1回</title>
		<link>http://peacemedia.jp/take/take0807.html</link>
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		<pubDate>Wed, 16 Jul 2008 06:36:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[連載陣]]></category>
		<category><![CDATA[連載：竹村正人]]></category>
		<category><![CDATA[PACE]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[労働]]></category>
		<category><![CDATA[学校]]></category>

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		<description><![CDATA[もしもこの世界の片隅に誰の眼も気にせずふっと休める場所があったなら、そこで仲間と語らい、痛みを分かち合う瞬間があったなら、ぼくたちはきっと自分自身が抱え込んだ問題を世界に向かって叫ぶ言葉を手にしていたかもしれない。「わた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>もしもこの世界の片隅に誰の眼も気にせずふっと休める場所があったなら、そこで仲間と語らい、痛みを分かち合う瞬間があったなら、ぼくたちはきっと自分自身が抱え込んだ問題を世界に向かって叫ぶ言葉を手にしていたかもしれない。<span id="more-97"></span>「わたしの問題」は「わたしたちの問題」になりえたかもしれない。<br />
―――ハギハラカズヤ</p></blockquote>
<p>　今、生きることの＜よろこび＞を噛みしめている人がどれくらいあるだろうか。大切な仲間の声に全力で耳を傾ける人はどのくらいいるか。あらゆる「未来」がショーウィンドーに並べられてしまった今、ぼくたちが切実に求めているのは、傷つきながらも互いの生をたたえ合うような、そんな人間のにおいがする言葉だ。</p>
<p>　周囲が就職活動で動き出した頃から、ぼくは失語症に陥った。今まで熱く語り合ってきた友人を前にしても、分かち合うべき大切な言葉が見つからない。ひきつった顔に表れるのは、力のない冷ややかな笑みだけ。今から思えばそれは、自身への絶望と、他者への不信から来る身体の危険信号だった。就職・結婚・家族・責任、そんな言葉がぼくを追いつめた。当時の同棲相手が最大の脅迫者だったから、息をつくことのできる居場所さえなかった。大学には善良な先生と忠実な生徒がいた。みんな葛藤していた。でも、運動圏の仲間たちでさえ、就職か進学かという二者択一について本気で疑う者はいなかった（みんな脅迫されてた）。それ以外の選択は、「フリーター」という言葉で説明し尽くせるかのように、否定的に語られていた。言葉の貧困が未来を貧困にする。ぼくは今も自分を「フリーター」だと定義してないが、いわゆるフルタイムワーカーではない。でも毎日はキラキラと輝いている。それは多分、ぼくが詩に出会えたからだろう。</p>
<p>　詩は、「すきま」であると思う。「自己実現」、「わたしらしさ」、広告の言葉はぼくらの日常を意味で埋め尽くそうとする。ぼくらは溢れかえる言葉の海をあっぷあっぷしながら辛うじて泳ぐ。詩は、そんな意味の支配に抵抗してぽっかりと空いた余白の場所だ。そこでぼくたちは今まで考えもしなかった未来を手にし、新しい自分に生まれ変わる。それが、詩という場所の持つ力だ。難しいけれど、詩という場所は、もともとどこかに在るんじゃない。詩は、出会いによってはじめて生れるものなのだ。というより、「出会い」こそが、詩の生まれを名づける言葉だろう。そのような出会いが可能となるための、いわば「詩の生まれる場所」については、稿を改めて考えたい。</p>
<blockquote><p>
狭まっていく<br />
生息域から<br />
四角い空を<br />
見あげては</p>
<p>まだ大丈夫。<br />
と息をふく</p>
<p>宇宙のなかの<br />
生物のなかの<br />
わたし</p>
<p>　　　　　（かつきあみ「Space」）</p></blockquote>
<p>*冒頭は『ＰＡＣＥ』４号から、文末は『紫陽』１５号から、それぞれ引用。<br />
『ＰＡＣＥ』については→　<a href="http://blog.livedoor.jp/pace_r/" target="_blank">http://blog.livedoor.jp/pace_r/</a>　参照<br />
『紫陽』については→　<a href="http://warabipoem.exblog.jp/" target="_blank">http://warabipoem.exblog.jp/</a>　参照</p>
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竹村正人　（PeaceMedia2008年7‐8月号掲載）
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