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2009.07.18

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 
第8回 西向きの身体

 学校の黒板の設置場所には決まりがあって、全国どこでも教室の西側の壁なのだそうだ。重松清の小説「進路は北へ」に書かれている話だ。確かにぼくの通ってきた学校の黒板も、すべて西側にあった。何百万という日本の小中高校生が、平日の昼間に西を向いて座っている異様さ。西を向こうとしない生徒が「問題児」にされてしまう異様さ。主人公の国語教師ムラウチ先生は、「それを想像してごらん」と語りかける。

 学校では、「みんな」に合わせないと生きていけない。たとえば恋愛や将来の夢、興味関心といった個人的な話題を、あえてクラス全員の前で語りだす生徒なんていない。生徒も先生も、それが当たり前だと思い込んでいる。「みんな」に合わせようとしない、イコール、おかしな人。てか、クウキヨメヨ。「みんな」が西を向いているとき、一人東を向くなんて絶対にありえない。 (さらに…)

2009.05.16

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 
第7回 青い鳥

 私とは何か。
寺山修司が死ぬ間際に谷川俊太郎に向けて問いかけたのは、私という存在の謎についてだった。二人の詩人は「私は~」「私の~」という言葉だけの詩を、互いに送りあう。寺山は「僕は日本人」「僕は男」と属性を連ねたあと「どれが一番正しいのか決めかねているのが僕自身というわけか」と言い、谷川は「これは私のメガネ」「これは私のお金」と所有物を連ねたあと「私は誰でしょう、これは私の詩ですか」と応えた。 (さらに…)

2009.03.14

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 
第6回 夢

 二年前から通ってきた生野区の小さな高校で卒業式があった。式が終わった後、受け持った卒業生と一緒に近くの喫茶店でおしゃべりをしていると、この二年間のいろんなことが思い出された。

 はじめて授業をした日、「新しい先生」を楽しみに集まった生徒の前で、ぼくは唐突に自分の過去を語り出した。学校が嫌いだったぼくがいま教壇に立っている矛盾を、ただ自分のなかに仕舞いこむのでなく、彼らと共有しよう。ぼくたちが集う教室を、教師と生徒が一緒になって言葉を作り出す場所に変えてみよう。出会ったばかりの彼らに、学校を拒否していたころの自分が何を感じ、考え、生きていたのか、表現に飢え、葛藤し、疲労した闘いの日々を、ぶつけた。それが授業のはじまりだった。 (さらに…)

2009.02.02

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 
第5回 送辞

 高校生だったころのぼくがずっと思い悩んでいたのは、自由とは何かということだった。学校はどうして生徒の自由を規制し、統制と管理を強いてくるのか、その答えを探しつづけた。

 父親の書斎に置いてあったマルクスの『資本論』やフランクフルト学派の哲学書には、資本主義社会が生み出した「学校」という場所への批判が書いてあるかもしれない。そう思いながら、本棚に手をかけ、理解できない言葉を必死で解読した。彼らの本から「管理社会」というフレーズを見つけ出したのは、そのときだった。 (さらに…)

2008.12.14

『「労働」に抗する身体』 ハギハラカズヤ 
第4回 夜

 厳しい夜の冷え込みに冬の訪れを知った。暖かい日が続いたせいだろうか、気づかぬうちに今年も残りわずかになっていた。そんなとき身体に染み込んでいたはずの時間の感覚に狂いが生じたようで、不思議な気分になる。 (さらに…)

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